俺はユダヤ教徒の白人をユダヤ教を信仰する白人であると認識してきた。ユダヤ教には、ユダヤ人の定義が存在するらしい。俺がこの状態を知った後、俺は彼らは非常にコーカサス人種的であると感じた。
俺の勝手な印象では、ユダヤ人の定義は両親がユダヤ人であることであるらしい。昔は母親がユダヤ人であることが条件であったそうである。先祖を辿っていくと、初めのユダヤ教徒(宗教書)にたどり着くという考えが存在するように見える。
しかし、俺はこの種の定義を見た後、俺は強烈な違和感を覚えた。以下では、俺はこの定義に感じた違和感を “東洋文明の視点” から提示してみる。上記はユダヤ教徒のイエレンである。彼女は完全に白人に見える。
ユダヤ人の定義の奇妙さ
ユダヤ人の定義の奇妙さ:この定義によると、俺らはユダヤ人を現在から未来へと人工的に作ることができる。
俺らはユダヤ人を現在から未来へと人工的に作ることができる。これが俺が感じた違和感である。なぜなら、ユダヤ人の定義は両親がユダヤ人であることである。
だから、もし俺がユダヤ教徒の女性(多数派である白人女性)と結婚して、子供を産めば、定義上はその子供はユダヤ教徒になる。しかし、当然、古代におけるユダヤ教徒とは人種(コーカサス人種)が異なるように思える。
上記の定義を採用する時、俺らはユダヤ人になろうと思えばなれてしまう。例えば、ある日本人がユダヤ教徒の白人に人種的に憧れて、その恩恵を預かりたいと考える。この時、その日本人はユダヤ教徒の白人女性を結婚して改宗して、子供を産ませれば、その子供は定義上はユダヤ人になることができる。
さらに、顔は白人的であればなおよし。この時、生まれてくる子供は古代のユダヤ人のDNAやY染色体を持つかもしれない。
古代のユダヤ教徒は白人か
有色人種の大部分は古代のユダヤ教徒は欧州人でなかったと感じている。そして、一部の日本人はユダヤ教徒の白人がユダヤ人を名乗ることは一種の背乗りであると勘ぐっている。実際、彼らの勘ぐりは事実である。
しかし、上記の定義によると、たとえ古代のユダヤ教徒が欧州人でなく、中東人であったとしても、もし欧州人がユダヤ教徒の中東人の女性を結婚して、子供を残すならば、その時、その子供はユダヤ人になる。そして、そのユダヤ人を白人と結婚させて、孫を産ませると、その孫はユダヤ人かつ白人になるように思える。
要するに、たとえユダヤ教徒の白人が「お前はユダヤ人でない」と指摘されるとしても、彼らは自己の子孫を人工的に(強制的に)ユダヤ人にすることができる。そして、彼らは「ほらみろよ、俺にも俺の子孫にも古代のユダヤ人のDNAやY染色体が存在するだろう」と主張できる。そして、そのDNAやY染色体は科学的にも検出される。
しかし、たとえユダヤ教徒の白人が古代のユダヤ人のDNAやY染色体を持つとしても、誰も彼らを古代のユダヤ人に関連づけないだろう。ほとんどの人間は彼らをユダヤ教を信仰する欧州人であり、古代の中東人とはあまり関係ないと感じる。そして、彼らは白人が古代のユダヤ人のDNAやY染色体を持って、ユダヤ人と名乗ることをどこか八百長的であると感じる。
奇妙な発言
左の発言者はユダヤ教徒の東洋人である。彼はユダヤ教徒の白人(アシュケナージ)のY染色体は中東由来であるので、彼らはユダヤ人であると言いたげである。けれども、この種の考えは少しおかしいように見える。
なぜなら、たとえユダヤ教徒の白人のY染色体が中東由来でないとしても、彼らはY染色体が中東由来になるように人工的に子孫を残すことができる。そして、彼らは「ほら見ろ、やっぱりユダヤ教徒の白人にもユダヤ人の遺伝子が入っていた!だから、ユダヤ教徒の白人もユダヤ人であった」と主張することができる。
けれども、もしユダヤ教徒の白人が古代のユダヤ人であったならば、彼らの先祖は古代のユダヤ教徒から遺伝的に分岐して、ユダヤ教徒の白人が形成されている必要があるように見える。ユダヤ教徒の白人は古代のユダヤ人から遺伝的に分岐して、形成されたわけでないだろう。一般的に、混血は人工的に作られる。だから、混血で民族を形成するのは難しいように見える。
人種や民族は人工的に形成されるか?
俺の認識:俺は人種や民族は過去における(遺伝的な)分岐によって自然に形成されると審判する。
俺は人種や民族は過去における(遺伝的な)分岐によって形成されると審判する。だから、俺らは人種や民族を現在から未来へと人工的に形成できないだろうと感じる。白人は人種や民族をまるで純粋数学における実数や曲面のように人工的に構成する。
けれども、俺はこの種の民族観は自然でなく非常に不自然であり、強烈な違和感を覚える。個人的には、俺らは民族を短期間では形成できない。一般的に、俺らは過去を変えることはできない。
そして、人種や民族は俺らが変えることができない過去における遺伝的な対象である。
構成的民族観
構成的民族観とは、民族が現在から未来へと人工的に構成される民族観である。具体例には、上記のユダヤ教徒(別名はユダヤ人)やウイグル民族が存在する。基本的に、白人はこの種の構成的民族観を採用する。
悲劇的な例では、ツチ族とフツ族の争いが存在する。白人は彼らの民族を人工的に構成して、互いに争わせた。現在でも、白人はウイグル民族という人工的な民族を人工的に構成して、中国を侮辱する材料にしている。
構成的民族観では、民族は人工的に構成されて、そこでは構成された民族に対する差別や人権侵害も人工的に作られる。ウイグル民族に対する差別や虐殺は存在しないだろう。なぜなら、もし俺らが構成的民族観を採用しないならば、その時、俺らはウイグル民族それ自体を認識しない。
これはユダヤ教徒の白人にも言える。たとえ白人が宗教的に無関係な有色人を「反セム主義者」と呼ぶとしても、その有色人は彼らをセム人とそもそも認識していない。白人みたいな顔をした自称セム人が他人を「反セム主義者」と侮辱して、悪魔化している。白人は自己の民族を人工的に構成するので、彼らはこの種の奇妙なレッテル貼りを実行してまう。
彼らは彼らの都合で民族を作り、その民族に対する差別主義者(敵)も人工的に作ってしまう。そして、彼らはレッテルをその敵に貼って攻撃して、民族的な争いを人工的に作り出す。俺は「なんか、それ、おかしくね?」と感じる。