以下では、創造主は物質世界は正しいかを提示するだろう。
1.0 背景
1.1(俺系統の認識) サピエンスと呼ばれる主体は物質世界を正確に表現することを”世界の真理”と感じている。
彼らはその行為を永続的な真理を獲得すると感じている。だから、彼ら、特に東洋人は彼らの人生を理論物理や数学に捧げて、彼らは永久不変の真理を獲得しようとする。
しかし、この考えには、不完全さが残る。なぜなら、たとえ彼らが物質世界の全てを正確に表現するとしても、彼らは善悪の問題を発見することができない。彼らは男女平等が善であるのか、悪であるのかを判断することができない。さらに、次の問題が考えられる。
1.2(俺系統の認識) 物質世界を正確に表現することの善悪は物質世界に所属しない。
言い換えると、物質世界には、物質世界を正確に表現することの善悪が存在しない。ここから、彼が導くのは、もし物質世界を正確に表現することの善悪は物質世界に所属しないならば、サピエンスと呼ばれる主体は物質世界を正確に表現することを必ずしも善と判断しない(認識1.21)。この時、物質世界の表現は必ずしも正しい、または真理であると言えない。
2.0 物質世界は正しいか?
2.1(俺系統の認識) 彼は物質世界を世界の真理と認識しない。
なぜなら、彼は物質世界の表現を必ずしも善と判断しない。ここでは、彼は一つの例を提示する。例えば、ある主体がガンになったと仮定する。もし彼が物質世界を善と判断するならば、彼はガンの状態を善と判断する。彼はガンを治療するべきでない。なぜなら、ガンの治療は物質世界の否定である。しかし、現実的には、彼はガンという現象を悪いと判断して、その状態を否定、または修正しようとしている。
その他の例には、神道における神木の信仰がある。もし彼が物質世界を善と判断するならば、彼は道路にはみ出た神木の状態を善と判断する。だから、彼は神木を切断するべきでない。なぜなら、切断行為は物質世界の否定である。このように、サピエンスと呼ばれる個体は物質世界それ自体を否定して、彼らは物質世界を改変してきた。その結果として、彼らは医学や社会を発展させてきた。
ここで、彼は物質世界の創造主の目的を仮定する。この時、彼は現在の物質世界はその目的に沿ったものであると便宜的に解釈する。すると、彼は次の思考の規範を提示する。
2.2(俺系統の認識) もし物質世界の創造主が目的を持って、物質世界を創造したならば、彼は物質世界を善と判断する。それに反する対象を悪いと判断する。
同様に、もし物質世界の創造主が目的を持って、物質世界を創造したならば、自然崇拝者は物質世界を善と判断する。それに反する対象を悪いと判断する。実際、自然崇拝者は森を開拓することを悪いと感じて、反対する。彼らは病気を直さないことを善と感じている。なぜなら、彼はその行為は神の目的と意志に沿っている、かつ病気を治すことを神の目的と意志に反すると感じている。
また、創造主の数をxと仮定するとx個の目的が少なくとも存在する。だから、善悪の系統の数も少なくともx個存在する。例えば、物質の創造主と空間の創造主と法則の創造主、そしてそれらのシステムの創造主が仮定される。さらに、彼は分岐を使用して、彼は次の思考の規範を提示する。
2.3(俺系統の認識) もし意識や運転手が物質世界から分岐した、または所属しないならば、それらは物質世界における目的から分岐する。
この時、意識や運転手は物質世界を善と判断する必要がなくなる。なぜなら、それらは物質世界の目的から離脱した。ここでは、彼は目的が善悪を導くと仮定する。この点からも、彼は物質世界を善と判断しない、かつその表現を真理と認識しない。