有馬 哲夫(ありま てつお、1953年[1] – )は、日本の公文書研究者。専門は、メディア研究・アメリカ研究・日米放送史、広告研究・文化産業研究。早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/有馬哲夫
以下では、著者は有馬哲夫の問題点を提示する。彼は大和民族の学者に観察される駄目な学者の典型的な例である。彼は非常に幼稚であり、社会性を持たず、自分勝手、わがまま、かつ好き勝手にデタラメに話す。彼の存在は大学、特に文系が不要であることを証明する。
1.0 有馬哲夫
有馬哲夫の人種はモンゴロイド人種である。有馬哲夫の小人種は東洋小人種である。有馬哲夫の民族は大和民族である。彼は青森県生まれであるので、有馬哲夫の部族は東北部族である可能性がある(電飛)。有馬哲夫のY染色体ハプログループは不明であるが、D1a2aやO2aやO1b2系統であるかもしれない。有馬哲夫のY染色体ハプログループはNの可能性もある。有馬哲夫のmtDNAは不明である。
有馬哲夫の宗教は不明である。有馬哲夫の文明的な所属は不明である。有馬哲夫の語族は日琉語族である。有馬哲夫の職業は大学職員である。
2.0 問題点
2.1(俺系統の認識) 有馬哲夫はまともな査読論文を持っていない。
有馬哲夫はまともな査読論文も英語論文も持っていないように見える。にも関わらず、彼は学者や研究者を名乗っている。この性質は大和民族の文系の研究者や大学教員に頻繁に観察される。彼らは研究者や学者を名乗るが、彼らは査読論文を1本も書いていなかったりする。
有馬哲夫は学者ごっこや研究者ごっこをやっているようにしか見えない。彼は合気道の達人の柳龍拳と同じである。一般的に、大和民族の学者、特に文系学者は何が論文であるのかを認識できない、かつ彼らは何が学者であるのかを認識できない。
そのため、彼らは学者でないものを学者と認識している、かつ彼らは論文でないものを論文と認識している。その結果、彼らは学者でないものを学者と呼ぶ、論文でないものを論文と呼んで、業績にしている。彼らは認識的な嘘を繰り返しているが、彼らには、その自覚がない。
2.2(俺系統の認識) 有馬哲夫は人種や民族を認識することができない。
日本人とは血ではありません。生まれた場所でもありません。戸籍でもありません。心です。日本を愛する心です。武士道を貴ぶ心です。 これがなければ他のなにがそろっていても、非日本人。
https://twitter.com/TetsuoArima/status/1574329871744000000
上記が有馬哲夫の民族認識である。彼の言ってることは、西欧白人と結婚した日本モンゴロイド人の雌が「私の夫とその中間種の子供を日本人にして欲しい」みたいな民族認識である。または、フィリピン人が彼ら自身を自称スペイン系と呼ぶような民族認識である。大和民族に対する有馬哲夫の民族認識は「大和民族は日本人の心を持った人間である」である。
上記のようなデタラメな発言は有馬哲夫だけでない。論文でないものを論文と呼び、学者や大学や学問という権威?で押し切ろうとするのは、大和民族の学者に頻繁に観察される。馬鹿の語源に代表されるように、彼らはまるで秦の始皇帝のような愚かさである。
日本文化を誇りに思いなさい。もともと排他的な文化ではない。日本人も排他的な国民ではない(ウヨクは日本人ではない)だから、対立しない。統計を調べてみなさい。外国人労働者受け入れに反対しているのは少数派。
https://twitter.com/TetsuoArima/status/1585094307715112961
上記にも、非常に深刻な問題が存在する。有馬哲夫は彼が気に食わない対象を「ウヨク」と呼んで、彼はそのウヨクを「非日本人」認定している。これは気に食わない対象を「ユダヤ教徒」と呼んで、彼らを虐殺したナチスやヒトラーを連想させる。また、有馬の言動はとにかく幼稚であり、ガキ大将を連想させる。
有馬哲夫はきちんとした民族認識を持つことができないように思える。なぜなら、彼は自己の社会を彼ら自身で形成することができない。きちんとした民族認識や人種認識は自己の人間社会の形成に不可欠である。しかし、彼は青森という田舎生まれの平民であるので、彼は上記のようなデタラメな民族認識しか持つことができないように思える。
一般的に、大和民族は自己の人種や民族をその場の「ノリ」や「雰囲気」で認識・決定しようとする。そのため、彼らは自己の社会を形成するようなまともな民族認識も人種認識も形成することができない。彼らは周りの信者にしか、通用しないような民族認識を平然と提示する。実際、有馬の「日本を愛する心です」も漢民族には通用しない。また、大和民族の大衆も自己の不安を解消して、安心を彼ら自身に与えてくれるようなデタラメな民族認識に飛びつく。
2.3(俺系統の認識) 有馬哲夫の言葉遣いはデタラメであり、彼は彼の意味深な言葉の意図を他人に読ませようとする。
上記もまた、大和民族の学者に頻繁に観察される。彼らは意味深な単語を使用して、その意図を学生や民に読ませようとする。そして、彼らは弟子に「先生、あの時の先生の言葉の意味がわかりました!そういうことだったんですね!」と言わせようとする。この種の行為はまさにカルト的であり、合気道や気功の達人的である。
しかし、実際は、有馬哲夫はどうとでも取れる言葉遣いを悪用して、彼らは他人を煙に巻き、他人を誤魔化し、他人を欺こうとしているだけである。例えば、有馬哲夫は「ウヨク」や「サヨク」や「ポピュリスト」という話し方を使用するが、彼の単語の使用の仕方はデタラメである。彼は相手を「ポピュリスト」と匂わせるが、彼は「俺は小野田をポピュリストと認識する」とはっきりと表現しない。
有馬は小野田がポピュリストであると匂わせるだけであり、彼は彼の信者や弟子に小野田がポピュリストであると思ってくれることと期待しているだけである。この種の話し方は本当に卑怯であり、知的に不誠実である。有馬哲夫は自己の立場を完全に勘違いしているので、彼は他人が自己の意図を読んでくれることを当たり前であると思っているように思える。