なぜオウム真理教は理系高学歴や医師の幹部を取れたか?野田成人中川智正富永昌宏林郁夫石川公一

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1億円で核兵器を作ってこいと麻原にいわれた・・・オウム元代表に訊く、オウム真理教の生活
  1. 野田成人(物理)
  2. 豊田亨(物理)
  3. 中川智正(医学部)
  4. 村井秀夫(物理)
  5. 渡部和実(工学?)
  6. 富永昌宏(医学部)
  7. 林郁夫(医学部)
  8. 石川公一 (医学部)

 上記のように、オウム真理教の幹部には、高学歴が多い。実際、彼らの試験の点数や学力は世界でも有数であったはず。しかし、彼らはオウムにハマってサリン事件を引き起こした。

オウム真理教の奇妙な点は理系が宗教にハマったことである。一般的に、理系は宗教を嫌って、変な宗教にはまらない ‘ 雰囲気 ‘ が存在してきた(ただし、数学科を除く)。だから、人々は理系高学歴を見て、非常に驚いた。

しかし、俺は理系がオウムにハマったことは不思議でないと感じる。なぜなら、善悪は自然界には存在しない。しかし、人々が人間社会を形成するとき、人間は何らかの善悪を必要とする。サッカーの試合を形成するとき、行為に対するレッドカードが必要とされるように。

1:善悪は自然界には存在しない

 経験則 善悪は自然界には存在しない。しかし、人々が人間社会を形成して、文明を作り上げるとき、善悪は必要となる。だから、善悪を与える宗教の需要は無くならない。

 人々は理系がオウム真理教にハマったことに驚いた。しかし、彼らは社会性や善悪を認識できないので、彼らは驚いた。科学や数学はサッカー選手の運動を記述するような行為であり、それらはサッカーの審判やサッカーの試合それ自体を形成する役割を持っていない。

1:科学は平等と公平のどちらが正当かを決定できない

 自然界には、善悪は存在しないので、科学は平等と公平のどちらが正しいかを決定できない。野田成人は物理の人間であるが、たとえ彼が物理を極めるとしても、善悪の問題は残される。

日本人の学者気取りは白人の価値観に服従してきた。だから、彼らは宗教の必要性を感じない。日本人の学者は実質的にはキリスト教徒、つまりキリシタン大名である。

2:実際の具体例〜彼らはキリスト教徒かオウム真理教か〜

 上記の真木和彦と立川裕二と大栗博司は実質的なキリスト教徒であり、男女平等に賛成している。たとえ彼らが数学や科学を極めるとしても、彼らは男女平等が正当であるか、男女公平が正当であるかを判断できない。そのため、オウム真理教のような宗教が入り込む余地が常に存在する。

上記の学者たちが宗教を必要ないと感じるのは、彼らが白人のキリスト教的な価値観を引用し続けてきたからである。俺は上記の3人はオウム真理教にハマる余地が存在すると審判する。なぜなら、彼らは彼ら自身の善悪(レッドカード)を持っていない。

彼らは宗教という運動競技(試合)を持たない人間である。だから、キリスト教的な価値観、つまり男女平等が彼らにスルッと入り込んでしまった。野田成人もまた彼自身の善悪(レッドカード)を持たなかったので、オウム真理教の教えがスルッと入り込んだように。

白人様
白人様

 俺は上記の三人の物理学者がオウム真理教にハマっても驚かない。なぜなら、彼らは自己の善悪、レッドカードを持っていない。西側白人が黒人奴隷のような狂ったことをやっても、自己の善悪を持たない彼らは白人に服従し続けるだろう。実際、彼らはアメリカモンゴロイド人種の虐殺や絶滅の結果である多様性を賛美する組織(大学)に所属してきた。

3:デザインと善悪

 宗教の需要はデザインにも関係する。デザインには、肉体のデザインや建築のデザインや文字のデザインも含まれる。たとえ上記の真木和彦と立川裕二と大栗博司が科学や数学を極めるとしても、彼らは彼らの自身のデザインの正当性や善悪を決定できない。

つまり、真木和彦と立川裕二と大栗博司はどんな肉体のデザインが良くて、どんな肉体のデザインが悪いかを判断できない。その結果、彼らは東洋人としての優れたデザインを獲得できないので、彼らの白人コンプレックスや白人への変身願望は解消されない。白人やアラブ人の肉体のデザインや建築のデザインが良いのは彼らの善悪の判断の結果であるだろう。

どんなデザインが正当であるかは自然界には存在しない。だから、宗教がそれを与えるので、宗教が科学や数学に入り込む余地が常に存在する。

2:医者は死生観に密接に関係する

 オウム真理教の幹部には、中川智正のような医者が多かった。それはなぜであるか?なぜなら、商業柄、医者は ‘ 死生観の問題 ‘ に対峙する必要がある。その死生観の問題の解は善悪と同様に自然界には存在しないので、宗教がそこに入り込む。

1:死生観の問題とは〜治療行為の正当性〜

 医者が老人や癌患者に接するとき、医者は死生観の問題に接する。それは老人を治療することは正当であるか、癌患者を治療することは正当であるか、である。行為の正当性、つまり行為の善悪は自然界には存在しない。

だから、宗教が必要となる。なぜなら、宗教は行為の正当性や善悪を与える。科学や数学は癌患者を治療することが正当であるかを教えない。

一般的に、医者は科学者や数学者よりもこの種の善悪や治療行為の正当性に関すり問題に接する。その時、たとえ医者が科学書や数学書を調べるとしても、その答えはその種の書籍には存在しない。その結果、医者の一部は正当な医療行為を求めて宗教にハマる。

2:死生観なしに医療現場は正常に回らない

 統一された死生観なしに、医療現場は正常に回らない。ある人間は安楽死に反対して、ある人間は安楽死に賛成する。または、ある人間は輸血行為を正当でないとみなすので、輸血に反対する。

死生観がバラバラでは、任意の医者はその種の患者に対応できない。だから、正常な医療のためには、ある種の統一された死生観を必要とする。そして、宗教がそれを与える。

人間社会という運動競技を回すためには、行為に対するレッドカード、つまり善悪が必要である。同様に、医療現場を回すためには、死生観が必要である。優秀でない人間を治療する必要があるのかという問題も存在してきた(もちろん、医者はこれを言わないが、)。

白人様
白人様

 医者がこの患者を本当に助ける必要があるのかと感じる。この感情それ自体は自然である。そして、この感情は善悪や医療行為の善悪に関係するので、医者は宗教を求める。

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