俺は幼稚を悪いと判断する。一般的には、東南アジア人や関西人や朝鮮人は幼稚な人々であると感じられる。より一般化すると、モンゴロイド人は幼稚な民であると認識される。
幼稚さとその善悪
俺系統の判断1.0 俺はある主体が幼稚であることを悪いと俺系統の善悪で判断する。
俺はある主体が幼稚であることを動物に近いと認識する(認識1.1)。さらに、俺はある主体が動物に近いことを分岐されていない(非分岐状態)と認識する(認識1.2)。俺が思考の規範を提示するならば、「もし俺がある主体が幼稚であると認識するならば、その主体は動物に近い」である(思考の規範1.3)。逆に、「もしある主体が動物に近いならば、俺はその主体が幼稚であると認識する」である(思考の規範1.4)。
俺はその状態を悪いと判断する。なぜなら、その状態は分岐という目的に反する。俺は目的に反することを悪いと判断する。従って、俺はある主体が幼稚であることを悪いと判断する。
俺系統の判断1.5 俺はある子供が幼稚であることを悪いと俺系統の善悪で判断しない。
現時点では、俺は上記をうまく正当化することができない。そこで、俺は雰囲気を提示する。子供は幼稚から分岐する能力を持っている。加えて、子供が幼稚であることはその年齢に一致した状態である。一方、大人が幼稚であることは大人であることに反する。年齢や大人としてのあり方と幼稚な状態が互いに反する。
幼稚
俺系統の認識2.0 認識幼稚は幼稚である、かつある主体が物事を正しく認識しない。
例えば、子供は自己の行為を正しく認識しない。そのため、彼らは彼らの行為を「いじめ」や「違法」と認識しない。だから、子供はいじめを実行する。だから、大人が正しい認識を子供の代わりにしてやる必要がある。
俺系統の認識2.1 判断幼稚は幼稚である、かつある主体が物事を正しく判断しない。
例えば、子供は自己の行為の善悪を正しく判断しない。そのため、彼らは彼らの行為「いじめ」を悪いと認識しない。だから、子供はいじめが悪いかを判断することができないので、彼らはその行為を実行する。だから、大人が正しい判断を子供の代わりにしてやる必要がある。