大和民族の未成年の一部はナチスを肯定したり、ヒトラーを崇拝したりする。そして、その種の行為は青年期における厨二病の一種として処理される。
上記では、ある女子高生がナチスを予備校時代に肯定した論文を書いて、予備校講師の田島が困惑したと書かれている。この種の行為に対して、田野大輔という幼稚な社会学者(また社会学者)は上記の呟きをつぶやいて、逆にナチス的であると批判された。
以下では、俺はナチスに関する大和民族の問題における奇妙な点を提示する。その奇妙点とは、大和民族の視点とは、なぜか白人視点であることである。
大和民族の性質
白人視点
問題点:大和民族がナチスについて語るとき、彼らは彼らの視点を戦中のドイツ人(ナチス)視点か、ナチスを糾弾する戦後のドイツ人視点に置こうとする。
大和民族がナチスについて語るとき、彼らは彼らの視点を戦中のドイツ人(ナチス)視点か、ナチスを糾弾する戦後のドイツ人視点に置こうとする。大和民族がナチスについて語るとき、彼らは彼らの視点を戦中のドイツ人(ナチス)視点か、ナチスを糾弾する戦後のドイツ人視点に置こうとする。
この種の行為は外部から見ると非常に奇妙であり、病的であるように見える。ユダヤ教徒の白人は生物的には白人であるが、彼らですらナチスとして他人を虐殺する側に立とうとしないだろう。にも関わらず、大和民族は彼らの視点を戦中のドイツ人(ナチス)視点か、ナチスを糾弾する戦後のドイツ人視点に置く。
その結果、ナチスのような白人至上主義が本当に登場するとき、彼らはその白人至上主義者に対処する方法をまるで考えていない。幼稚が醜くダウン症と人種的に侮辱された人々がナチスになることを心配している。この状態は実に喜劇的であり、病的である。大部分の白人は「日本人という大和民族は人種的に劣等であるので虐殺される側だ。なぜ白人になろうとするのか?」と内心疑問に思い、その滑稽さを笑っているだろう。
知的障害者か?
問題点:もし大和民族の一部が自己の視点を白人やナチスに置くならば、その時、その一部は何らかの知的障害(発達障害)を持っているように感じる。
もし大和民族の一部が自己の視点を白人やナチスに置くならば、その時、その一部は何らかの知的障害(発達障害)を持っているように感じる。有色人種のほとんどはナチスはおろか、宗教問題や西洋に興味を持っていない。もし彼らがナチスに興味を持っているならば、彼らはもともと非常に変わり者であり、彼らは少し発達障害的であるように見える。
アスペっぽいキモオタに漫画やアニメを読ませると、彼らは漫画の登場人物になりきって、漫画のように話し始める。あるいは、西側白人と結婚した大和民族の雌は白人視点を獲得して、白人のように振る舞う。大和民族の科学者にニュートンやアインシュタインの自伝を読ませると、彼らはまるで自分たちが白人になり、人類の役に立っているように感じてしまう。この種の行為はオタクのキモさや性格の悪さに帰着されるべきでなく、何らかの病気が疑われる必要がある。
ナチスに興味を持つオタクも学者(田野大輔)も実際に発達障害やアスペルガー、その他の知的障害を持っていてもおかしくない。その結果、彼らにナチスの話をさせると、全員が白人になろうとして、俺は頭を抱えざるを得ない。上記の呟きも同じであり、この種の知的障害者は「自分たちが虐殺される側であること」や「自分たちが人種的に侮辱される側であること」を認識できない。
正常な思考
善な行為:大和民族を含む有色人種は劣等な有色人種として彼らの視点を置く必要がある。
大和民族を含む有色人種は劣等な有色人種として彼らの視点を置く必要がある。また、ナチスは宗教問題でもあるので、宗教的に無関係な大和民族を含む有色人種がナチス基本的には触る必要はない。大和民族は基本的にナチスや欧州の問題に言及する必要はない。また、彼らは「彼らは有色人種であるので、白人至上主義は怖い。ナチスも怖い」と言うだけで十分である。これが大和民族を含む有色人種の最も差し障りのない発言である。
彼らはナチスを肯定したり、白人視点を獲得してナチスを糾弾する必要はない。たとえ愚かな有色人種がナチスやヒトラーを肯定するとしても、俺らは「君らも虐殺されるよ」と諭すように言えば十分である。そこで、上位の田野大輔のように有色人をナチスとして糾弾すると、彼らは変な方向に行く可能性がある。
有色人種の場合、たとえ彼らがナチスを肯定するとしても、彼らは “実際の” 行為を実行しなければ良い。だから、下記のような宥めて別の方向へと誘導する教育が適切であるように見える。彼らは白人でなく、彼らは白人至上主義やナチスには絶対にならない。第一、彼らはゲルマン民族でない。教師は「有色人がナチスや白人至上主義者を肯定すると、君らや他の有色人を危険に晒すからやめようね」と優しく諭して誘導すれば十分である。
田野大輔
強いて言うなら、アスペルガー疾患者は価値観が健常人と根本的に違うというより、価値観そのものがないと言っていいと思います。 だからこその、他人の行動を真似るとか、あるいは追い詰められたときのおうむ返しとか、言動の一貫性のなさ、 口先だけの大言壮語ばかりで行動が伴わない、などがあるんだと思います。 「他人の気持ちがわからない、空気が読めない」などといったら、別に何か確固たる信念に基づいた自分というものが あるのだとうっかり勘違いしてしまいそうですが、実はそういうことじゃないということですね。 あるのは単に、他人を否定することによって自分を認めさせたいというある種の本能的な我欲だけでしょうね。
https://okwave.jp/qa/q6859269.html
田野大輔の心理
田野大輔の心理:田野大輔はナチスを悪用して、他人を服従させたり、他人に説教したいだけである(スカッとしたい)。
田野大輔はナチスを悪用して、他人を服従させたり、他人に説教したいだけである(スカッとしたい)。これは一種の発情行為であり、公的な行為としては悪い。田野大輔は戦後ドイツ人やユダヤ教徒の白人に憑依して、戦後ドイツ人やユダヤ教徒の白人の考えを自分勝手に読み取り、彼らの霊言を繰り出す。そして、田野大輔は大和民族を田野大輔の想い通りにしたいように思える。
しかし、この種の行為はもはや学問でなく、学問を装った卑しいカルト宗教である。実際、田野大輔は戦後ドイツ人やユダヤ教徒の白人を「神様」と崇拝していて、その神様に反する考えを悪と感じている。田野大輔がナチスを悪いと判断するのは、田野大輔の宗教が授ける善悪の結果でなく、田野大輔の神様が「ナチスは駄目」と言っていたからである。
田野大輔の脳内世界では、戦後ドイツ人やユダヤ教徒の白人が田野大輔の神様である。田野大輔自身はその神様の意志を読み取る司祭である。そして、その司祭が何がナチスであるのか、何がファシズムであるのかも自分勝手に決定する。一般的に、大和民族は健常者からなる組織を作れないので、未開の土人に学問組織を作らせると、幸福の科学のような霊言を繰り出したり、柳龍拳のような合気道の達人化してしまう。
カトリックの知り合いから聞いた話ですが、隣町の教会に白人の年老いたフランス人宣教師が赴任しているそうです。これまで司祭は日本人や韓国人だったそうですが、そのときより明らかに説教を聞く態度や取り巻きの数が違うとか。なんでも、その司祭を追いかけて東京からその町に引っ越してきた人までいるそうです。今日の記事を読んで、そもそも「宣教」という営みが、宣教師本人が全く意図していない形で、無邪気な侵略をしてしまっているのではないか、という暗黒の気づきにつながってしまいました。
https://note.com/terrakei07/n/nc6f9aff1c575
田野大輔の心理
田野大輔の心理:田野大輔はユダヤ教徒の白人が永遠に可哀想な被害者であって欲しい。
田野大輔はユダヤ教徒の白人が永遠に可哀想な被害者であって欲しい。なぜなら、その時、田野大輔はナチスを持ち出して、日本人に説教して、服従させて、スカッとできる。しかし、宗教的に無関係な有色人がユダヤ教徒の西側白人を有色人には歴史的に加害者であると認識する。
しかし、田野大輔はこの種の視点を非常に嫌う。なぜなら、もし宗教的に無関係な有色人がユダヤ教徒の西側白人を有色人には歴史的に加害者であるならば、その時、田野大輔は日本人に説教できなくなる。俺の印象では、田野大輔はナチスに対して興味を持っていない。彼の興味の大部分は日本人に説教してスカッとできるかである。
田野大輔がナチスを持ち出して、日本人に説教して、服従させて、スカッとするためには、「ユダヤ教徒の西側白人が被害者であること」が必要である。だから、田野大輔は「ユダヤ教徒の西側白人は有色人には被害者でなく、加害者であり、同情する必要はない」という発言を非常に嫌う。普通に考えれば、アメリカ先住民やアボリジニやネグロイド人がユダヤ教徒の西側白人に同情する必要がないように、俺らもまたユダヤ教徒の西側白人に同情する必要がない。でも、それだと、説教できない。
身も蓋もないことを言ってしまうと、日本人を含むアジア人、とくに女性は白人にほだされやすい。女性は男性よりもはるかに容易に「白人の信者」になる。そしてマシュマロ相談者の友人は現にそうなってしまったのだ。心優しく、勤勉で、ユーモアのあった彼女はもう、この世界のどこにもいないのだ。
https://twitter.com/terrakei07/status/1410510740562210816
田野大輔の心理
田野大輔の心理:もし田野大輔が日本人に説教してスカッとできるならば、モンゴロイド人種がどうなろうが知ったことではない。
もし田野大輔が日本人に説教してスカッとできるならば、モンゴロイド人種がどうなろうが知ったことではない。田野大輔がモンゴロイド人種を白人の大量虐殺者(ナチスやヒトラー)で安易に例えることは、モンゴロイド人種を危険に晒している。なぜなら、その時、モンゴロイド人種がナチスやヒトラーとして本当に虐殺される可能性がある。
けれども、田野大輔はたとえその種の虐殺が本当に生じるとしても、田野大輔は何の責任も取らないだろう。有色人種をナチスやヒトラーで例えることは有色人を非常に危険にさらしている。ユダヤ教徒を安易にオウム真理教に例えることはユダヤ教徒に対する宗教的な侮辱であり、かつ将来的な損害をユダヤ教徒にも与えるだろう。