KEKの女性物理学者の野尻美保子はみほちゃんか?〜本物のオタサーの姫とはどういうものか?〜

大和民族
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 野尻美保子は関西人の物理学者である。彼女は自己を「みほちゃん」と電網の上で読んできた。もしこのみほちゃんが猫の名前でなければ、50代や60代の老婆が自分のことを「ちゃん」と呼んでいる。

この状況は異常で未開あるが、彼女はその異常性を認識できない。俺は野尻美保子の異常な行動と日本国における大学の異常性について語る。なお、これは記録のための文であり、野尻美保子に対する批判でない。

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セクハラとは性的嫌がらせ

 野尻の行為:セクハラとは、性的な嫌がらせである。50代の醜い老婆が彼女自身をみほちゃんと呼ぶことは若手への明確な性的な嫌がらせである。

ぶりっ子老婆=性的嫌がらせ

 野尻はぶりっ子である。この種の幼稚な科学者や数学者の数は一人でない。そして、彼女らはこの種の行為が「性的嫌がらせ」であることを認識できない。

俺が学生であった時も、この種のぶりっ子老婆や中年女性が存在した。そして、多くの学生はかなり嫌がっていた。大抵の場合、この種の老婆は自己の専門領域すら理解できていないように見えた。

たとえ学生がこの種の老婆を注意するとしても、この種の老婆はぶりっ子を一向に止めようとしない。男女を逆にすれば、異常性がわかるが、異常な環境ではその異常性が認識されない。この種の幼稚な女性は小学校には存在しない。

勘違いしたサークルの姫と公開キャバクラ

 日本国における大学は学問の現場でなく知のキャバクラである。野尻美保子の振る舞いはホストにおける女性客の振る舞いに似ている。彼女はその自覚を持たない。

外部の人間の大部分は彼女の子言動や行動を異常で未開とみなしているが、野尻美保子はそれに一切気づいていない。繰り返すが、野尻美保子のぶりっ子的振る舞いは気持ち悪い。

日本人の学者やIT技術者に組織を作らせると、この種の異常な環境、つまりサークルの姫状態とキャバクラが生じる。外部から見ると、異常であるが、彼らは麻痺している。

失礼で喧嘩腰

 野尻美保子の異常性は指摘に対する応答反応にもある。彼女はとにかく失礼で喧嘩腰であるが、その自覚を持たない。彼女はまるでちんぴらの彼女のように振舞っている

俺が日本人の学問的シャーマンの喧嘩腰で失礼な態度を見るとき、俺はその失礼さに驚いた。大学教員とは単なる職業であり、身分でないが、彼らはまるで貴族や王様のように振る舞う。

日本人の日本国民は彼女の契約相手であり、失礼な態度をとるべきでない。しかし、野尻美保子は契約の概念を持たないので、それを認識できない。普通に考えれば、誰が自分をみほちゃんと呼ぶ50代の老婆と契約を結びたいのか?

甘えと勘違い

 野尻美保子は自分自身をみほちゃんと呼ぶくせに、女性に関する問題には興味を持ってきた。しかし、彼女の発言の大部分はトンチンカンであり、甘え腐っている。

野尻は男女平等を掲げてきたのに、彼女は真理を主張して男性にやってもらおうとする。もし彼女が優秀であるならば、彼女は女性のための組織を彼女自身で作り、女性自身で維持すれば良い。

野尻は男性に依存して甘え腐ってるので、彼女はこう期待してきた。彼女男性に大学や研究所を作ってもらおう。その後、女性がその組織に入り男女平等掲げて、頑張ったご褒美として地位やお金をもらって、ヨシヨシしてもらう。

 女性は男性に加護されることを当たり前としてきた。野尻美保子の振る舞いもまた加護の下での高慢な振る舞いである。彼女の夫も物理学者であり、また彼女は周りの日本人男性に守ってもらえることを当たり前としてきた。その結果、彼女は異常に幼児的である。

大学の異常性

 大学の異常性:小学と高校と大学の中では、大学教員が最も幼稚的である。

幼児性

 小学と高校と大学の中では、大学教員が最も幼稚的である。小学→高校→大学の順で、教員がより幼児的になる。災害や戦争時に「みほちゃん」は学生や生徒を守れないように思える。この「みほちゃん」という妖怪は大学生によって守ってもらおうとしているように見える。

小学校教員は非常に成熟した精神を持っていたので、幼児的でなかった。なぜなら、災害や戦争では、教師は生徒や学生を守らなければいけない。これは教師の「義務」であった。だから、小学校教師は20歳の女性ですら自己を「〜ちゃん」と呼ぶことは許されなかった。

もしある小学校教員が自己を「みほちゃん」と呼ぶならば、性的な嫌がらせで苦情が入るあろう。一方、みほちゃんは幼児的であり「やってもらうこと」を当たり前とする。俺は自分自身を「ちゃん」と呼ぶ小学校教員を見たことがない。日本では、大学になればなるほど、トップになればなるほど、教員の質が幼児的になり、甘やかされた動物や猿が多くなる。しかし、彼らはそれを認識できないので、いつまでも幼い。

善悪(レッドカード)の欠如

 野尻美保子は「彼女が自己をみほちゃんと呼ぶことが善か悪であるか」を判断できない。たとえ野尻が彼女の性的嫌がらせ行為を批判されるとしても、彼女はふてくされたような態度をとる。

たとえ俺が野尻を性的嫌がらせに関して批判するとしても、彼女はぶりっこをやめないだろう。なぜなら、彼女は善悪の判断を下せない。だから、怒鳴ったり、罰を与えないと、みほちゃんは何が正しいかを感じれない。彼らはまるでしつけが必要な家畜のようにである。

頑張ったご褒美

 公共事業であり慈善事業でない。しかし、野尻はそれを認識できない。だから、彼女は女性に関する問題に関して真理を主張してお金を「もらおう」する。

たとえ野尻が永久不変の真理を主張するとしても、契約相手との金銭契約は成立しない。しかし、野尻は幼児的でわがままであるので、それを認識でない。

オタサーの姫の振る舞い

 オタサーの姫の振る舞い:オタサーの姫は自己の意見を提示して、それを正当化しない。彼女らは「私は怒ってます!」と主張すれば、要求が通ると感じている。

 オタサーの姫は自己の意見を提示して、それを正当化しない。彼女らは「私は怒ってます!」と主張すれば、要求が通ると感じている。下記の野尻の発言はまさにオタサーの姫的であり、異常者である。

しかし、ちやほやされすぎて、野尻は自己の異常性に気づかない。だからこそ、野尻は自己を「みほちゃん(58)」と呼びながら、男女問題を考えていることに異常さを感じない。オタサーの姫の社会では、オタサーの姫は文字通り姫になるので、「姫がムカついてます!」と主張すれば通ると感じている。

具体例

 左の発言は典型的なオタサーの姫の発言である。彼女は「ムカついている」と感情を表現している。サークルの姫の社会では、姫は「怒っている」や「悲しいです」と主張すれば、自分の要求が一般社会で通ると信じきっている。

しかし、もし野尻がまともな人間であるならば、彼女はその行為が東洋文明における礼に反するのか、西洋文明における罪やその他の概念に反するのかを提示する必要がある。彼女は「自分はムカついている」としか表現していない。「ムカついている=だから、ダメ」と感じている。

人間社会における市民や国民を選手と仮定すると、たとえある選手がムカついているとしても、そのムカつきでは試合は動かされるべきでない。

しかし、オタサーの姫は甘やかされているので、「姫はムカついてます」と主張すれば、サッカー選手が動くと感じている。実際、俺は上記の何が悪いのかはわからないので、単なる言いがかりや難癖にしか見えない。

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