ユダヤ人って本当に優秀なの? ホロコーストの映画見てると「アホじゃないの?」と思えてくるところが多々あるんだけど(゚~゚;)
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ユダヤ教徒の白人は富裕であり、かつ学問に長けている。米国でも、彼らの割合は2パーセントでしかないが、彼らは比較的に富裕であり、かつハーヴァード大学などの有名大学にも多いように思える。この状態を見て、大和民族の一部はユダヤ教徒の白人に憧れて、彼らを天才と内心感じてきた。
しかし、俺はこの種の味方に必ずしも賛成しない。以下では、俺はユダヤ教徒の白人の優秀さを提示してみる。結論から言って、彼らの優秀さは印僑や華僑、アルメニア人のような優秀さであると審判する。
ユダヤ教徒の白人の優秀さ?
ユダヤ教徒の白人の優秀さ:ユダヤ教徒の白人の優秀さは華僑や印僑の優秀さに近く、商売や学術に長けている。
ユダヤ教徒の白人の優秀さは華僑や印僑の優秀さに近い。日本列島でも、華僑や華人、朝鮮民族の日本国民は平均的な大和民族よりも優秀である。彼らは、神道の大和民族が仏教や儒教なしに自己の国家を形成できないように、自己の国家を欧州に彼ら自身で形成できない。
華僑や印僑の優秀さ
華僑や印僑は商売上手であり、かつ知的である。華僑(華人)やインド人からは、優秀な数学者が排出されている。個人的な印象では、俺はユダヤ教徒の白人は華僑や印僑の白人版であるように見える。
ただし、ユダヤ教という宗教が関係するので、西洋文明では、華僑や印僑よりは複雑な社会を構成している。実際、ユダヤ教徒の白人は商売上手で、彼らは富裕である。加えて、彼らは勤勉であり、彼らは有名な大学においても活躍している。
電網世界では、ユダヤ教徒の白人はごく少数であるのに、ノーベル賞の割合は非常に多いと指摘されてきた。このため、大和民族の一部は白人に憧れて、ユダヤ教徒の白人を「ユダヤ人は優秀」と言って崇めてきた。しかし、ユダヤ教徒の白人は華僑(華人)やインド人に似ていて、自己の社会や自己の国家を形成したり、軍人として他者と対峙することを非常に苦手とするように見える。
本当に優秀ならば…
ユダヤ教徒の白人はキリスト教徒の白人にいじめられて、虐殺されてきた。そして、彼らはいかに自分たちが虐殺されてきたかを表現してきた。もし彼らが本当に優秀であるならば、俺はなぜユダヤ教徒の白人は彼ら自身の国家を欧州に形成して、主導権を握らないのかと疑問に思う。ヴァイキングやアングロ・サクソンは自己の国家を形成して、自分に有利な空間を彼ら自身で形成できる。
白人崇拝者でない人間にとって、人間の優秀さの一つとは、自己の国家を形成できることである。例えば、ユダヤ教徒の白人崇拝の他にも、アングロ・サクソンへの崇拝が大和民族には観察される。アングロ・サクソンとユダヤ教徒の白人の違いとは、前者は国家を形成できることである。
彼らはイギリスだけでなく、アメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドという国家を形成している。そして、多くの人々は彼らが形成した国家で生きたいと願って、移民している。個人的には、もしユダヤ教徒の白人が本当に優秀であるならば、なぜユダヤ教徒の白人はアメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドという国家を形成できなかったのかと疑問に思う。当然、ロシア人にもできない。
ユダヤ教徒の東欧白人
アメリカ合衆国では、ユダヤ教徒の東欧白人が活躍している。俺が彼らを見るとき、俺はなぜ彼らはロシアやそのほかの東欧で活躍できなかったのかと疑問に思う。実際、アメリカで活躍するユダヤ教徒の東欧白人は非常に知的で商売上手であるように見える。
けれども、もしユダヤ教徒の東欧白人が本当に優秀であるならば、彼らは自己の国家を東欧に立ち上げて、自分に有利な環境を形成できるはずである。しかし、ユダヤ教徒の東欧白人はこの種の行為をあまり得意としていないように見える。ユダヤ教徒の東欧白人はアングロ・サクソンの国家でのびのびと生きる時、ユダヤ教徒の東欧白人は彼らの能力を思う存分に発揮することができるように見える。
この状態は、西アフリカ人の運動選手に似ている。彼らもまたサッカーという運動競技システムを彼ら自身で形成できない。けれども、彼らはアングロ・サクソンが形成した競技や白人が管理・統治するシステムの中ではうまく競技している。当然、管理者も統治者も形成者も白人である。
なぜ日本人はユダヤ教徒の白人を優秀と感じるか?
俺の憶測:大和民族はシステム内の選手としての優秀さしか認識できない。
大和民族はシステム内の選手としての優秀さしか認識できない。だから、彼らはユダヤ教徒の白人を優秀と感じる。実際、俺の印象でも、彼らはシステムの内の(知的な)選手、商業選手としては最も優秀であるように見える。
大和民族の考える優秀さ
〜医師や教師さえ奴隷だった〜日本なら「先生」をつけて呼ばれる職業である医師や教師、会計士も奴隷でした。こうした職にあるギリシャ出身の奴隷はとくに高く評価されたといいます。身分と学識は関係なかったということですね。
http://sanhouten.com/ancient-roma/
大和民族は自己のシステムを形成することを苦手とする。加えて、彼らは牧畜民族でないので、彼らは対象を管理するという発想を持っていない。そのため、彼らは選手としての優秀さしか認識できないように見える。
その結果、彼らはユダヤ教徒の白人を「天才」と感じて、彼らを崇拝し始める。上記でも、医師や教師さえ奴隷であったと指摘されている。なぜなら、医師や教師は社会の形成者や管理者でない。彼らはあくまでも管理される側、所有される側(奴隷)であった。
たとえある西アフリカ人の運動選手がどんなに優秀であるとしても、彼らは白人によって所有されてしまう。彼らは自己のシステムを彼ら自身で形成できないし、そのシステムを管理や統治できない。だから、もし彼らが文明の恩恵を受けたいならば、その時、彼らは白人のシステムの形成と管理をやってもらわないといけない。
北米の東洋人は優秀か?
北米の東洋人は知的であり、かつ商売上手であるように思える。実際、東洋人は比較的高学歴であり、彼らは彼らの子孫を有名大学へと送り込む。けれども、東洋人の大部分は国家形成の主導権や管理や統治を白人から奪うことができていないように見える。
例えば、ハーヴァード大学では、アジア系学生はなぜか多様性の名の下で排斥されている。にも関わらず、東洋人はこの種の社会的な状況をうまく変更できないでいる。俺がハーバード大学に関するアジア系学生の排斥を見た後、俺はキリスト教徒の白人による大学からのユダヤ教徒の白人の排斥を思い出した。
東洋人はハーヴァード大学によるアジア系学生の排斥と「差別」と抗議する。けれども、彼らは自己の大学や学術制度を彼ら自身で形成できないので、彼らは相手を差別主義者となじりながら、その差別主義者に受験の合格を求めて、助けてもらおうとしている。自分で自己の教育制度を作れば?と俺は感じるが、東洋人の学生は自己の教育制度を彼ら自身で形成できないのだろう。