この宗教では、俺らは俺らの子孫によるヌシの復活を信仰する。一つの問題が存在する。俺らはいつのヌシを復活させるのかである。
いつのヌシを復活させるのか
俺らの信仰:俺らは最後のヌシを復活させる。
俺らは最後のヌシを復活させる。日常的には、俺らは(ヌシが)死ぬ直前のヌシを復活させる。つまり、俺らは復活によって、ヌシの継続性(連続性)を獲得する。
俺らがヌシの復活を信仰する時、俺らは俺らの肉体が若かった時のヌシを復活させたいと感じるだろう。けれども、俺らは死ぬ前のヌシを復活させて、ヌシの順序や継続性を破壊しないようにする。
俺らが死ぬ直前のヌシを “ん” と便宜的に置く。その時、ん→復活されたヌシとなるように復活させる。この時、初めのヌシを “あ” と置く。この時、あ→い→う→…→を→ん→復活されたヌシとなるように復活させる。
ヌシと若い肉体、老いた肉体
俺らの信仰:現時点では、俺らは若い肉体におけるヌシと老いた肉体におけるヌシの違いを把握していない。
現時点では、俺らは若い肉体におけるヌシと老いた肉体におけるヌシの違いを把握していない。もしヌシに若さが把握されて、かつ若い肉体の影響を受けるならば、ヌシにも年齢が信仰されるだろう。けれども、その場合、俺らは老いたヌシを復活させることになる。
個人的には、俺らはヌシには年齢や老いが存在しないように見える。老いが存在するように見えるのは肉体の劣化の結果である。ヌシそれ自体が老いているのかは不明である。
もしヌシそれ自体が老いているならば、その時、俺らは若いヌシを復活させたい、かつ俺らは上記におけるヌシの継続性も獲得したい。その方法は不明である。個人的には、俺は老いた記憶も欲しい。