東京大学の学生は馬鹿で無能であるとみなされてきた。東大生は試験に強いが、彼らは仕事や宗教や文明を創造する意思を持ってこなかったとみなされてきた。彼らは合気道の達人に対する胡散臭さを持ってきた。
では、なぜ東大生は無能であると審判されてきたのか。その理由とは審判の欠如、判断の欠如、宗教及び文明の欠如である。仕事や戦争や社会設計や政治や国家運営には、審判と判断と宗教及び文明が関係する。
東洋大学の学生はこれを持っていないので、彼らは馬鹿に見える。審判や判断や宗教及び文明は思考のOSであり、彼らはそれを持っていないので、彼らは無能である。さて、君は以下でその具体例を眺めよう。
1:審判の欠如
東京大学の学生は審判能力を持っていない。その結果、彼らは単語の使い方が狂っている。具体例として、彼らは「イケメン」という単語を日本人や白人に使用する。しかし、白人はイケメンでなく、肉体の「デザイン」が優れている。
この種の雑な審判の例は「天才」や「エリート」や「優秀な日本人」や「国際化」にも応用される。東京大学の学生が主張する天才、特に学者は契約相手から借りたお金を返してこなかったので、日本人は彼らを天才と審判しないが、東大生は馬鹿であるので、彼らを天才と審判する。
また、国際化の単語の使い方も狂っている。日本の企業で、白人は社長になれるが、欧州や北米で東洋人は社長になれない。しかし、東大生は家畜化政策(植民地政策)の歴史を知識として知っているのに、これを国際化やグローバルと審判する。まともな日本人はこれを「家畜化」や「奴隷化」と認識する。
以上のように、東大生は豊富な知識や頭の高い回転を持っているが、審判能力を持っていないので、日本人や色付きが白人と対峙しなければいけない時、東大生が無能に見える。東大生はまるでイタコのように白人の審判を繰り返すので、彼らは白人と対峙できない。
東大生の馬鹿さって、白人に奴隷や家畜にされても「白人にもててる私」と認識しそう。
2:判断の欠如
東大生は判断能力を持っていない。その結果、彼らはアメリカ大陸の多様性を先進や国際化と賛美する。しかし、その多様性は俺らモンゴロイド人種の虐殺の結果である。東大生は豊富な知識を持つが、善悪の判断を下す能力が根本的に欠如している。
東大生は善悪の判断を下せないので、彼らは東洋人の歴史すら創造できない。彼らはなぜか白人の視点に立って、多様性を賛美して多様性が素晴らしい歴史を書いて、日本をわけもわからずに多様化しようとしてきた。しかし、これは黒人やユダヤ教徒が黒人奴隷やナチスを賛美しているようなものである。
東大生は狂った善悪の判断から政治や国家を運営しようとするので、彼らがやってることは馬鹿で無能に見える。黒人が黒人奴隷を素晴らしいと判断して、黒人がそういう歴史を書き、黒人が黒人奴隷を推進しているようなものである。東大生は
東大生は難しい入試を突破できるが、例えば、肉体のデザインが悪いことは良いか悪いかすら判断できない。だから、東大生の肉体のデザインは悪いままである。判断ができないので、彼らは何もかわらないし、醜いデザインのままである。
3:宗教及び文明の欠如
東大生は宗教及び文明を持っていない。その結果、彼らは何も思考できない。なぜなら、宗教や文明は審判や判断といった知的基盤を与える。
東大生は宗教や彼ら自身の東洋文明を失ったので、彼らは男女平等が良いか男女公平が良いかを判断できない。自然界は善悪の判断を持っていないので、これは宗教や文明に関する話である。東大生の脳みそは遺伝的に優秀であるが、たとえ彼らの脳みそを調べるとしても、男女公平が良いかはわからない。
俺が東大生や日本人の学者気取りを見る時、彼らは何も思考していないように見える。彼らは白人の意見の記憶行為と引用行為と経験の実況中継行為を繰り返すので、彼らは馬鹿で無能でイタコに見える。
おまけ:自己認識の形成ができない
東京大学の学生は自己認識を形成できないので、無能に見える。東大生の無能さは西側の白人との中間種の無能さに等しい。彼らも東大生も白人と対峙できないので、結局、なぜか日本人の中流層が自己認識を形成して白人と対峙する羽目になる。
おまけ:義務や責任や契約の概念の欠如
東大生は義務や責任や契約の概念を持っていない。だから、彼らは彼らの行為の責任を取ろうとしない。彼らは神輿のように振る舞い、中流層が彼らの行為のの後始末をしてくれると期待する。まるで雌のように。
契約の概念の欠如は外資系への就職にも見られる。彼らは職業選択の自由を掲げて、外資系へと就職しようとするが、東京大学は税金がおそらく貸しつけられているので、もし彼らが外資系へと就職するならば、すべて自費でやれば良い。
しかし、東大生は契約の概念を持たないので、彼らは他人のお金、つまり税金を勉強を頑張ったご褒美であると解釈する。東大生は審判能力の欠如と契約の概念の欠如から、契約が破棄されそうな発言を平気で繰り返す。