弥生人とは誰であるのか〜稲作を持ち込んだ東洋人か?〜

大和民族
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弥生人(やよいじん)は弥生時代日本列島に居住した人々。大きく、弥生時代に中国大陸朝鮮半島等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、縄文人が直接新文化を受け入れた結果誕生した「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」とに分けられる

https://ja.wikipedia.org/wiki/弥生人

 以下では、俺は弥生人とは誰であるのかを提示するつもりである。上記では、大陸系弥生人や縄文系弥生人や混血系弥生人という奇妙な単語が使用されている。けれども、俺はこの種の単語を正当と認識しない。

大和民族は東洋小人種(新モンゴロイド人種)である。しかし、大和民族の一部(2000万人から3000万人)は縄文人系統のゲノムとY染色体(Y染色体ハプログループD)を受け継ぎ、この性質は朝鮮民族や漢民族を大和民族から区別する。その他の性質は東洋人由来であり、この東洋人が「弥生人」と呼ばれてきたように見える。

では、この「弥生人」とは一体誰であったのだろうか?俺らがわかっているのは、この弥生人が東洋小人種(新モンゴロイド人種)であったことである。

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弥生人

弥生人

 俺の認識 弥生人とは、稲作を日本列島へと持ち込んだ東洋人である。

 東洋人とは、東洋小人種(新モンゴロイド人種)の要素である。つまり、弥生人とは、稲作を日本列島へと持ち込んだ東洋人である。昔では、弥生人は紀元前3世紀あたりに日本列島へと自然に移動したと考えられてきた。

けれども、現在では、弥生人は紀元前10世紀あたりに日本列島へと自然に移動したとも考えられてるように見える。一般的に、弥生人は弥生時代に日本列島へと自然に移動した東洋人であると認識されている。そして、弥生時代が稲作が日本列島への持ち込まれた時代である。

つまり、弥生人は弥生時代という時期でなく、稲作とその持ち込みで認識される。当然、弥生時代は弥生土器でも認識されるだろう。まとめると、弥生人は稲作や弥生土器、そして東洋人(新モンゴロイド人種)によって特徴付けられているように見える。

弥生人

 俺の認識 弥生人は北方系統の東洋人でなかったように感じる。

 上記の認識では、弥生人は稲作を日本列島へと持ち込んだ東洋人である。個人的な印象では、稲作は南方や黄河と長江の中間あたりの東洋人によって実行されていたように感じる。または、山東省や河南省、そして朝鮮半島の南部である。

弥生時代の始まりを紀元前1000年、つまり今から3000年前と仮定すると、弥生人の先祖は満州や朝鮮半島の北部でなく、黄河と長江の中間あたりや山東省や河南省に住んでいたように感じる。黄河北部に対する俺の印象は稲、特に水田稲作でなく麦である。

当然、黄河や山東省は稲に向いていなかったので、日本列島へと自然に移動してみたのかもしれない。なお、ここでの北方の東洋人とはモンゴル人や華北人である。たとえ弥生人が山東省であるとしても、その弥生人は長江から北上したかもしれないし、稲のみを長江から学んだのかもしれない。前者の場合は山東省における下戸遺伝子の存在を説明することができる。

 今から約1万年前、新石器時代の早期の長江中流で始まったイネの栽培化は、次第に長江下流域・淮河流域へと拡散していった。とくに新石器時代前期・中期に温暖湿潤期(ヒプシサーマル期)となり、栽培イネそのものが植物的な進化があり、北方への拡散の導因となったと思われる。新石器時代中期には黄河流域に入り、仰韶文化のアワ・キビ雑穀農耕社会にイネが取り込まれていった。山東半島ではやや遅く、新石器時代後期の竜山文化のなかに、イネの出土例が始まる。その南部の海岸部ではイネを主体とした農耕が中心になっていく。朝鮮半島では西海岸を中心にすでに中国東北部を通じてアワ・キビ雑穀農耕が拡散していた(朝鮮半島初期農耕化の第一段階)が、前2000年頃に山東半島から海を渡って半島南部にイネが伝播し、畑作農耕の中にイネが取り込まれていった(第二段階)。さらに山東半島南部の水田を持つ本格的な水稲農耕が遼東半島を経て朝鮮半島に伝わり、前2000年紀の終わりごろ朝鮮半島南部に達する(第三段階)。

https://www.y-history.net/appendix/wh0203-005.html

弥生人と大和民族

東洋人

 俺の認識 大和民族の母系(または父系)は弥生人(山東省?)だけでなく、O1b2系統と漢民族O2の三種類が存在するように感じる。

 上記では、大和民族の基層は縄文人であり、弥生人と呼ばれる東洋人が母系から流入していると感じられてきた。しかし、俺はこの東洋人自身も複数の系統からなっているように感じる。つまり、大和民族の東洋人成分は「最も古い弥生人」と「次に古い系統(朝鮮や満州など)」、そして大和政権の後に渡来して、日本書紀や古事記に関係した「渡来人系統(漢民族)」が存在するように見える。

大和民族の東洋人としての基盤が弥生人であるのか、古い系統(朝鮮など)は不明である。けれども、俺の独断と偏見によると、この古い系統(朝鮮や満州など)は藤原家の先祖に関係しているように感じる。おそらく、彼らは紀元前後か紀元前3世紀あたり(弥生時代から古墳時代)に日本列島へと自然に移動したように思える。彼らは渡来人でなかっただろう。

それに対して、関西人(渡来人)は大和政権の誕生の後に来たように思える。俺の認識では、関西人は北方でなくより南方っぽい性質(長江)を持っている。大和政権それ自体が朝鮮半島に密接に関係しているが、関西人(渡来人)は大和政権の誕生にあまり関係していないかもしれないと憶測する。

 言い換えると、日本神話には、縄文人と弥生人と朝鮮人(O1b2)、そして渡来人(中国系)が関係しているが、関西人は日本神話にあまり関係していない可能性がある。個人的には、関西人は平安時代の後に渡来していてもおかしくないと感じた。