ポアンカレ賞の東京大学の緒方芳子(OGATA Yoshiko)は数学を本当に理解しているのか?

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 東京大学の緒方芳子がポアンカレ賞という謎の賞を受賞したらしい。俺は東京大学の緒方芳子という名前も数学もポアンカレ賞も知らない。しかし、俺は緒方芳子やポアンカレ賞の受賞や今回の受賞に関係した大和民族の雄の研究者に関して強烈な違和感を覚える。以下では、俺は大和民族の科学者や数学者における男女に関する組織的な問題を提示するつもりである。

なお、俺自身は文系でない大卒であり、大学や学問(アカデミア)からみて完全な部外者であると述べておく。以下の文章は学生や学生の両親や祖父母、そして科学事業における契約相手(お客様)からの視点である。学生や国民は学者の契約相手であり、家来部下でない

また、以下の文章は特定の誰か(ここでは緒方芳子や田崎晴明)を貶しめるための文章でない。大和民族の学者は学問を掲げて、政府には情報公開を求めるのに、自己の組織の問題や歴史(金銭問題や性的嫌がらせや暴力的嫌がらせ)に関しては隠蔽しようとする。完全なる部外者の視点もまた日本国の大学及び学問場所に関する重要な歴史的な情報である。

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緒方芳子

 以下では、俺は緒方芳子やポアンカレ賞の受賞に関する俺の違和感を述べる。この違和感は大和民族の学者へと一般化される。特に、この違和感は小保方晴子に関する問題にも関係する。

俺系統の印象

 俺系統の印象 緒方芳子は数学(自己の専門分野)を小保方晴子や新井紀子よりは理解している。

 ただし、数学に対する緒方芳子の理解は数学に対する雄の研究者の理解と異なるように見える。少なくとも、緒方芳子は数学を雄のちゃんとした研究者の水準では理解していないように見える。悪くいうと、数学に対する緒方芳子の理解には、周りの雄の研究者の助けがあったように見える。

俺が緒方芳子?(人違いでなければ)に関する動画(動画1動画2動画3=東京数理動画4)を見た後、英語の拙さのためか、俺は緒方芳子に関して少し頼りない印象を受けた。動画1では、田崎晴明という物理学者はきちんとしている一方、緒方芳子は幼稚であり、頼りない印象を受ける。さらに、なぜか緒方芳子はヘラヘラ笑って幼児的に?話すので、何かを誤魔化している印象を持った。

田崎晴明(TASAKIの母音を除くと、上記のT-S-Kになる?物理学者が数学者を賞に推薦できるのかは知らないが…)や地中海人男性や白人男性が緒方芳子の教師に見える。一方、緒方芳子が数学に関する教えを請う学生にすら見える。言い換えると、俺は数学を理解していない学生が教師の前で発表している印象を受けた。悪くいうと、緒方芳子は自己の専門分野を男性ほど理解していないが、英語による言語的な障壁や白人の気遣いのために理解の稚拙さを誤魔化せているような印象を受ける。ただし、動画3では、緒方芳子は普通に見えるが、それでも幼い印象を視聴者に与える。

動画4でも、非常に幼くたどたどしい話し方であり、キモオタが好みそうであると感じる。非常に悪く例えると、緒方芳子の幼稚な話し方は周りのキモオタにちやほやされて、数学を理解できなくても、周りのキモオタが群がってきて手取り足取り教えられてきたのでないかと感じさせてしまう。この種の大和民族の雌は一人でなく、本当にいっぱいいて、研究室に所属する学生(客)は本当に嫌がっている。特に教授と性的関係がある場合、彼女らは他の学生に対して女王のように振る舞うので、学費を払う学生(客)がなぜか彼女ら(女王)に気を使わざるを得ない。

ポアンカレ賞

 ポアンカレ賞 たとえ緒方芳子がポアンカレ賞を受賞するとしても、契約相手である日本国民は緒方芳子を含む大和民族の雌の学者をほとんど信用していない。

 言い換えると、今回のポアンカレ賞は緒方芳子に対する公平な評価でなかったように見える。下記の押川の呟きが典型的であるが、緒方芳子の受賞は「(アイドルを)応援しているよ!」受賞であるように見える。俺の印象では、俺は緒方芳子は他の雌の数学者よりも数学ができたのでないかと勘ぐる。そのため、周りの雄の研究者(田崎や押川)は雌の研究者(緒方芳子)が数学できることに舞い上がってしまって、緒方芳子の能力を過大評価したように見える。

大和民族の学者は自己の宗教を持っていないので、自己のx教系統の性規範を持っていない。大和民族の学者が自己のx教系統の性規範を持っていないとき、大和民族の雄の学者は大和民族の雌の学者を際限なくちやほやして卑弥呼のように祭り上げようとする。今回の受賞もまた押川の呟きのようなものに見えてしまう。

しかし、一般人にとっては、数学における賞も運動競技における賞も人間の業績に対する公平な評価の結果として与えられる。賞は可愛い女の子を喜ばせる何かでない。賞は「日本には女性研究がいない」という西側白人の侮辱を回避するための何かでない。賞は白人との対峙や白人からの批判という不安を回避して、安心感を獲得するための道具でない。大和民族を含む東洋人は馬鹿でないので、数学や科学における賞がジャニーズやAKBの総選挙やアイドルの推しになっていることを感じることはできる。

アイドル推しの心理

 以下では、俺は緒方芳子を推す大和民族の雄の科学者の心理を提示するつもりである。この種の心理は大和民族の雄に共通するように見える。彼らはこの種の心理が部外者によって読まれていることをうまく認識していないように見える。

不安

 俺系統の認識 大和民族の科学者は彼らの不安を回避したかったので、彼らは緒方芳子をポアンカレ賞に推したように見える。

 日本国の大学には、科学者の雌の数が少ない。そのため、西側白人はキリスト教やユダヤ教の観点から日本国を男女平等でないと宗教的に侮辱していた。大和民族の科学者の雄はこの種の批判を回避したかったので、彼らは緒方をポアンカレ賞に推薦して、「ほら白人様、みてください。日本国にも優秀な女性科学者がいるんです!」と言いたかったように見える。そのとき、彼らは彼らの不安から解放されて、彼らは安心感を獲得することができる。

一般的に、大和民族の学者は自己の宗教が授ける人工的な自己を持たない。だから、彼らは西側白人に批判されることそれ自体を本当に恐れる。彼らが日本国は男女平等でないと侮辱されると、彼らは不安を覚えて、彼らは日本国が男女平等でないことは悪い(レッドカード)と感じる。そのため、彼らは日本国を男女平等にしようとする。あるいは、彼らは白人と同じじゃないと不安を覚えるように見える。

一見すると、田崎晴明や押川は緒方芳子の受賞を喜んでいるように見える。けれども、俺の印象では、彼らは彼ら自身の不安を回避することができたので、彼らはその受賞を喜んでいるようにも見える。

上記の波多野の呟きは田崎の心理に合致しているだろう。つまり、波多野も田崎晴明も日本国には女性がいない一方、国際的(白人)社会には女性がいる。彼らは白人と同じじゃないと何か不安であるので、白人と違うと白人と対峙しなければいけず、その対峙が不安であるので、緒方芳子に賞を与えれb、推薦すれば、白人と同じになれる。彼らはこの種の心理を持っているように思える。

喜び

 俺系統の認識 大和民族の科学者の雄は緒方芳子を喜ばしたかったように見える。

 この種の心理はアイドルの推しに典型的である。彼らはたくさんの富をアイドルに貢ぐ。なぜなら、彼らはアイドルを富で喜ばしたい。さらに、彼らは相手の喜びを善を感じるように見える。そのため、彼らは「貢ぐ→喜ぶ→善」と感じているように見える。

同様に、もし緒方芳子がポアンカレ賞を受賞したならば、緒方は喜ぶだろう。だから、アイドルの推しは緒方の受賞を善と感じているように見える。つまり、彼らは「受賞→喜ぶ→善」と感じているように見える。

さらに、波多野のように、もし緒方が受賞するならば、女学生を勇気づけることができるかもしれない。女学生に希望を与えて、女学生も喜ぶかもしれない。緒方も女学生も喜ぶので、緒方の受賞は善である。彼らは物事の善悪を相手の感情でこのように感じているように見える。しかし、この種のアイドルの推しの心理は賞を文字通り「アイドルの推し」にする。実際、アイドルの推しもAKBへの貢ぎ行為もまた「推しを喜ばせたい」や「喜ぶ→善」という心理から来るように見える。

褒められたい

 俺系統の認識 大和民族の科学者は西側白人に褒められたいので、彼らは緒方芳子をポアンカレ賞に推したように見える。

 つまり、もし大和民族の科学者が優秀な女性科学を白人に展示したならば、彼らは西側白人によって男女平等と褒められるかもしれない。彼らはこのように予想して、緒方芳子をポアンカレ賞に推薦した可能性がある。

実際、大和民族の科学者が男女平等をなんとなく雰囲気で推し進めようとしているのも「白人に褒められたい」からであるように見える。または、彼らは白人に認められたい、白人の仲間入りを果たしたいので、彼らは女性を持ち上げている。

上記のLeclercのつぶやきは示唆的である。俺には、田崎も押川も西側白人に媚びているようにしか見えな。一見すると、田崎も押川は女性研究者のことを考える良い人であるように見える。しかし、彼らは自己の宗教も自己の善悪も自己の性規範も持っていない。だから、たとえ彼らが男女平等を推進したり、緒方芳子をポアンカレ賞に推薦するとしても、部外者は彼らは西側白人や可愛い女の子に媚を売っているように見えてしまう。

緒方の受賞に対する俺の印象は右のつぶやきに類似する。中山泰秀はユダヤ教徒の白人に褒められたくて、彼は同じ国民をその団体へと切支丹大名のように売り飛ばした。彼は彼の行為は善であると感じている。なぜなら、彼はユダヤ教徒に褒められる、かつ相手(ユダヤ教徒)が喜んでる様子を見た。

問題の原因

 大和民族の学者は自己の社会(ソサエティ)をまともに形成することができていないように見える。実際、大和民族の雌の研究者の能力は客(学生や学生の両親、そして国民)に非常に疑われていて、お金を返せと感じている。以下では、俺はその理由を提示するつもりである。

選手と管理者

 俺の認識 知的に優秀な選手が社会システムを管理・統治しようとするので、大学やアカデミア社会それ自体が失敗してきた。

 科学者や数学者はサッカーの審判やサッカー業界の管理者や統治者でなく、サッカー選手である。彼らは人間社会における知的選手としては非常に優秀であるかもしれないが、彼らは人間社会における審判者や管理者として優秀でない。にも関わらず、彼らがサッカーの審判や業界の管理者を担おうとするので、大学やアカデミア社会それ自体が失敗してきた。彼らは専門家を重視するが、彼らの統治は本当に素人統治である。子供医者と同じ。

賞には、公平性や信用、そして性規範が必要である。選手はただ競技していれば選手としては十分である。試合における平等性や公平性、そして信用を考えるのは選手でなくサッカー審判やサッカー業界の統治者である。けれども、大和民族の科学者や数学者は人間社会における公平性や平等性を認識できない選手であるのに、彼らは(科学や数学ができるという理由で)サッカー審判や大学やアカデミアの管理者や統治者を担おうとするので、彼らはいつも失敗してきた。

実際、大和民族の科学者や数学者は人間社会における公平性や平等性それ自体に無関心であり、彼らは公平性や平等性それ自体を認識していない。加えて、彼らは賞における信用が何であるのかもうまく認識していないのだろう。人間の業績に対する公平な評価が信用を賞に与えるが、彼らは公平や信用を認識できないので、彼らは白人の真似をして賞を創設すれば、白人になれると誤認識しているように見える。

発達障害

 俺の印象 発達障害者はもし彼らが白人(他人)と機械的に同じことをすれば、白人や周りの研究者に褒められると感じているように見える。

 大和民族の科学者や数学者には、発達障害者?やアスペルガー?が多いように見える。彼らの特徴は彼らは白人の真似事を意味もわからず繰り返すことである。発達障害者の思考には、意味がない。例えば、彼らは白人が女性研究者にノーベル賞やフィールズ賞を与えようとすると、彼らも白人の真似をして、女性に賞を与えようとする。彼らは車掌の口真似を意味もわからず繰り返す知的障害者に似ている。

彼らは「白人の真似→褒められる」と機械的に学習しているように見える。だから、彼らは賞を女性に与えようとするし、緒方がポアンカレ賞を受賞すると、白人と同じになったと喜ぶ。しかし、健常者は次のように考える。賞とは人間の業績に対する公平な評価である。だから、もし緒方へのポアンカレ賞の受賞が彼女の業績に対する公平な評価であるならば、その受賞は素晴らしい。

そうでないならば、その受賞は喜ばしいことでない。これが健常者の思考である。健常者と発達障害者の思考の違いの一つは “意味の有無” である。俺の印象では、発達障害者やアスペルガーは賞の意味を把握できないので、「賞の受賞→皆が喜ぶ(祝福する)」と関数f(x)=yのように機械的に思考するように見える。俺の印象では、発達障害者は知能の発達も本当に障害されていて、子供のままであるように見える。だから、彼らは試験で「100点→パパやママが褒めてくれる」というような思考を繰り返す。

性に関する文化

 俺系統の認識 大和民族の学者はオタク的であり、性規範に関する文化を形成することができない。

 大和民族の学者の雌は「ぶりっ子」か「態度が異常に悪い」に分類される。ぶりっ子には、小保方晴子や野尻美保子や新井紀子がいる。野尻美保子は自己を「みほちゃん」とちゃん付けで呼んでいる。しかし、60代の老婆が自己を「ちゃん」で呼ぶのは異常である。新井は話し方が非常にぶりっ子である。緒方芳子はぶりっ子側である。

また、態度が異常に悪いには、鳥居啓子がいる。彼女の話し方は客(契約相手)に対する話し方でない。彼女の振る舞いは西側白人と結婚した大和民族の雌が有色人を見下す話し方に非常に類似する。彼女の感じの悪さはドイツ人や発達障害やアスペルガーを連想させる。一般的に、オタクが多かったり、(治安が良く)暴力がない世界では、ホモ・サピエンスの雌は「ぶりっ子」か「態度が異常に悪い」に分類される。

大和民族の学者はキモオタであるので、彼らはぶりっ子を好み、公的な場所で本当にちやほやして、延々と擁護する。たとえ俺らがこの種の行為をやめろと言っても、鉄オタやアスペなのか、彼らは絶対にやめようとしない。さらに悪いことに、彼らは自己の発情行為を認識していない。その結果、小保方晴子のようなぶりっ子が大和民族の学術文化から生まれてくる。また、大和民族の学者はホモ・サピエンスの雌をきちんと注意することができないので、鳥居啓子のような態度が病的に異常に悪い老婆が生まれてくる。実際、誰も野尻美保子の「ちゃん呼び」や新井紀子の「ぶりっ子」をきちんと罰していない。子供やアスペや鉄オタやラーメン評論家のように、客に怒鳴られたり、怒らないとわからない。

上記の状態では、賞はAKBの総選挙やジャニーズの推しのように「お気に入りのアイドルの推し」になるように見える。一見すると、科学や数学に関する賞は性規範に無関係である。けれども、もし学者が自己のx教系統の性規範を持たないならば、彼らは賞を「アイドルの推し」と見なしてしまうように見える。彼らは研究者の雌を応援するために、賞を与える。そこには、業績に対する公平性がない。

解決案

 以下では、俺は上記の解決案を提示するつもりである。

社会システム形成のための宗教

 俺系統の認識 もし大和民族の学者が自己のx系統の社会システムのための宗教xを信仰するならば、彼らは性に関する問題を解決できる可能性がある。

 日本国や大和民族、特に科学者や数学者は宗教を個人を救済する何かであると感じているように見える。けれども、俺にとっては、宗教とは、自己のx系統の社会システムを形成する何かである。社会システムは運動競技のようなものである。その運動競技は善悪(レッドカード)を民に授けて、かつその善悪を唯一に正当化する。その他にも、宗教は性規範、富の規範、そして正当な刑罰や平等や公平を授ける。

自己の宗教を持っていないことは、自己の善悪を持っていないことである。その時、その種のホモ・サピエンスは公的な場所で可愛い女の子に群がるのが善であるのか、悪であるのかを判断することができない。なぜなら、物事の善悪を判断するためには、x系統の善悪が必要である。大和民族の学者は自己の宗教が授けるx系統の善悪を持っていないので、彼らは任意の物事の善悪をx系統の善悪で原理的に判断することができない。

運動競技で例えると、大和民族の学者はレッドカードを持っていないのに、彼らは運動競技を実行しようとしている。そのため、彼らは少年漫画のようになんでもありの状態を作る。例えば、彼らは選手として無能な可愛い雌に賞を授けて、その雌に喜んでもらおうとする。彼らは自由でなく野生や未開であり、動物に近い。彼らは何の人間競技も実行していない

x教系統の性規範

 性規範の提示 日本国の大学及び学者は自己の性規範を彼らの言葉で表現して、かつ記録する。

 人間はホモ・サピエンスという動物的な性質を人間性(humanity)という人間的な性質を二重に持つ。ホモ・サピエンスは動物や家畜や愛玩動物と同様に発情している。だから、人間は彼らを物理的に去勢する必要がある。もし人間が動物を物理的に去勢しないならば、その時、人間は家畜をうまく管理(統治)することができない。

同様に、もし人間が人間を宗教が授ける性規範で人工的に去勢しないならば、人間は人間を適切に統治することができない。なぜなら、その時、人間は人間のホモ・サピエンスとしての発情を行為を適切に管理することができなくなる。その結果、彼らは可愛い女に賞を与えて喜んだり、推しの異性をアイドルのように崇拝して、組織を崩壊させてしまう。

実際、もし何らかの問題が緒方芳子の受賞にあったならば、その問題はx教系統の性規範の欠如に関係していた可能性がある。x教系統の性規範はx教系統の社会の形成けでなく、賞の公平な授与にも関係する。

x教系統の善悪

 俺系統の認識 大和民族の学者はx教系統の善悪を提示せよ。

 大和民族の学者は事実からでなくx教系統の善悪から入れ。ある場合では、善悪は事実よりも重要である。大和民族の学者は自己のx教系統の善悪を持っていない。この状態は上記でも述べたように運動選手が自己のレッドカードを持っていない状態に対応する。

大和民族の学者は「公的な場所で異性に群がるのは善であるのか、悪であるのか」や「男性研究者が数学や科学を女性研究者に教えることは善であるのか、悪であるのか」を彼らの言葉で表現する必要がある。言い換えると、運動競技の形成がレッドカードの取り決めから始めるように、俺らが組織や社会を形成する時、俺らは「自己の善悪(レッドカード)」から始める個人的な印象では、大和民族の学者がまともな組織や社会をいつまでも形成できないのは、宗教が授ける善悪の欠如であると感じる。宗教は性規範や善悪を人間に与えて、人間社会の形成を促す。

大和民族は批判されると、「群がっているつもりはない」と返答するが、俺は「では、君らは可愛い女の子に群がることは悪い」と判断しているのかと尋ねたい。もし彼らが悪いと返答するならば、俺は「そのレッドカードはどの宗教系統のレッドカードなのか?キリスト教系統?儒教系統?仏教系統?」と質問したい。大和民族の学者は事実を重視しすぎて、善悪を軽視しすぎる。だからこそ、批判されると、可愛い女の子に群がっている事実は存在しないということを必死で証明しようとする。

その事実の証明が完了?して、相手を納得・説得させると、彼らはホッと安心して、可愛い女の子に安心して群がり始める。その結果、いつまでも性規範の欠如と発情行為の放置が継続してしまう。レッドカードなしに運動競技は形成されないように、善悪(レッドカード)なしに運動競技は形成されない。

これは「女性に嫌われるのが怖くて、批判しない」にも応用される。俺が大和民族の学者を「女性に嫌われるのが怖くて、批判しない」と批判すると、大和民族の学者は「女性に嫌われるのが怖くて、批判しているつもりはない」と否定的に返答する。しかし、彼らは「俺らは “女性に嫌われるのが怖くて、批判しないことは悪いとx教系統の善悪で判断する」といつまでも主張しない。

そのため、大和民族の学者はいつまでも女性に嫌われるのが怖くて、批判しない。善悪から入らないので、サッカー選手のハンド行為がいつまでも放置されるような状況が継続してしまう。俺は「数学を理解していない女性が学者になることは善であるのか、悪であるのか」と尋ねたい。大和民族の学者はこの種の質問に回答することを非常に苦手としているだろう。彼らは「だって、男女平等が〜」や「だって、文部科学省の政策が〜」と誤魔化すだろう。

x教系統の刑罰

 刑罰 もしある学者が自己の専門分野を理解していないのに、地位を獲得したり、何らかの賞を受賞するならば、その学者は厳しい刑罰に処される。

 全ての学位の剥奪と牢屋に入れれば良い。日本国の大学が腐敗するのは、宗教の欠如(性規範の欠如)に加えて、刑罰が存在しないからである。大和民族の学者は非文明的な未開の民であり、彼らは刑罰それ自体を嫌う。

酷い場合には、彼らが刑罰を受けそうになると、彼らは「日本の科学がどうなっても良いのか」と恫喝し始める。結局のところ、大和民族の学者は宗教が与える性規範を持たず、かつ刑罰を嫌うので、オタサーの姫が跋扈したり、組織が完全に腐敗してしまう。上記の例では、もし緒方芳子が自己の専門分野を理解していない、または自分で論文を書いていなかった場合、彼女や彼女の推薦者、そして共同研究者は契約相手に対する詐欺や欺きで罰される必要がある。

自己の宗教も自己の善悪も自己の性規範もない状態で、さらに刑罰すら実行されない状態では、誰も緒方芳子を信用しないだろう。もし緒方芳子や大和民族の学者が信用されたいならば、その時、彼らは自己の宗教も自己の善悪も自己の性規範を提示して、自己に課せられた厳しい刑罰をきちんと表現する必要がある。刑罰も性規範もないので、女性研究者に対する受賞や推薦がAKBやジャニーズのような可愛いアイドルの推し?みたいになっていて、外部から見ると異常に見える

予想される応答

予想される応答

 予想される応答 予想される応答には、「(部外者が)知らないくせに批判している」が存在する。

 上記では、俺は緒方芳子について言及した。当然、俺は緒方芳子が誰であるのかを知らないし、俺は緒方芳子の研究分野も本当に何もわからないし、ポアンカレ賞という賞を今日知った。けれども、俺は脳科学を知らないが、茂木健一郎をなんとなく胡散臭いと感じ取ることができるように、俺は緒方芳子やその他の大和民族の雌の学者をなんとなく怪しいと感じ取ることができる。

例えば、俺は新井紀子や三浦瑠璃を小保方晴子に類似した存在として認識している。ただ、俺が少し検索したところ、緒方芳子は自己の論文を一人で書いているように感じた。だから、俺は緒方芳子は新井紀子や三浦瑠璃よりは信用することができると感じている。しかし、俺は緒方芳子がポアンカレ賞の受賞に本当に該当するのかは不明であると感じた。

大和民族の学者は「知らないくせに批判している」と癇癪を起こす。けれども、組織が腐敗しているのか、胡散臭い人物であるのかは外部からもなんとなく想像がつく。具体的には、ぶりっ子か、笑ってごまかさないか、周りが男性ばかりでなく女性研究者にも囲まれているか、夫の研究分野と重複していないか、このような観点からも研究者の信用を感覚的に把握することができる。

否定・論破癖

 否定・論破癖 大和民族の学者は批判されると、彼らはその批判を否定して、論破しようとする。

 例えば、俺が大和民族の学者は可愛い女の子に公的な場所で群がると批判する。その時、彼らは「群がってるつもりはないけれど…(怒)」とふてくされたような顔で返答する。たとえ俺らが何を言っても、大和民族の学者は批判に対する批判や否定や論破を繰り返そうとする。

しかし、彼らは「公的な場所で異性に群がるのは善であるのか、悪であるのか」をいつまでも判断しないので、彼らの性的な問題はいつまでも解決しない。ひどい場合には、彼らは騒いだり喚いたり、恫喝や脅迫を繰り返したりするので、話が通じない。

アイドルの擁護

 アイドルの擁護 大和民族の雄の学者は可愛い女の子を神様として崇拝して、彼女らを擁護しようとする。

 大和民族の雄の学者は可愛い女の子を神様として崇拝して、彼女らを擁護しようとする。この種の行為は神道における多神教的である。この場合、多神教では、大和民族の雄は緒方芳子を一種の神(女神)として崇拝する。

その時、緒方芳子の存在や状態や行為(発言)は常に善であり、緒方芳子の存在や状態や行為(発言)に反するものは悪(レッドカード)になる。その結果、誰かが緒方芳子を批判する時、この女神の崇拝者がどこからもなく現れてきて、緒方芳子を必死に擁護し始める。あるいは緒方芳子に対する悪魔を「差別主義者」や「ナチ」と呼んで侮辱し始める。女神がほろっと泣くと、彼らは慌てふためいて、よしよししようとする。

例えば、誰かが新井紀子を批判する時、必ずと言っていいて、キモオタが彼女らを擁護しようとする。そして、キモオタは敵対者を攻撃して、消滅させようとする。この種の行為は本当に宗教的であり、多神教的である。しかし、大和民族の学者は気づいていないで、「知」や「学問的誠実さ」や「真理」などという薄っぺらい単語を振り回している。岡潔やグロタンディークに対する崇拝も多神教的で、外部から見ると、カルト宗教的に見える。

類似した例

Yusuke Yasui

 俺の認識:Yusuke Yasuiは自称数学者の新井紀子が小保方晴子や三浦瑠璃のような存在であると完全に勘付いている。

 Yusuke Yasui は自称数学者の新井紀子(キリスト教徒)が小保方晴子や三浦瑠璃のような存在であると完全に勘付いている。さらに、Yusuke Yasuiは田崎晴明や大栗博司や牧野淳一郎や村山斉や菊池誠のような理論物理学者や数学者は新井紀子が数学を全く理解できていないことにも気づいている。けれども、彼らは新井紀子を批判して、女に嫌われるのが怖いので、新井紀子を批判してないにも気づいている。

  1. 新井紀子教授はプロフィールで学歴詐称をしている
  2. 「ロボットは東大に入れるか」の新井紀子教授は研究者としてすごい
  3. 新井紀子教授が反論すべき点と女性研究者について
  4. 新井紀子教授のプロフィール上で学歴が修正される
  5. 新井紀子教授はAIの専門家ではない 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
  6. 新井紀子スレッド – itest.5ch.net[公式]
  7. 数学者・新井紀子は間違いだらけのトンデモさんだ!

上記のラジオを聞けばわかるが、60代の老婆である新井紀子の話し方は非常に幼児的であり、彼女の年齢を考えると、ぞっとする程度には非常に気持ち悪い。彼女は意図的にアニメ声を出して、意図的にたどたどしく話しているが、彼女の行為は一種の性的嫌がらせである。本来であれば、彼女の話し方は若者に対する性的嫌がらせであるので、厳しく注意される必要がある。

けれども、キモオタはこの種のぶりっ子雌を非常に好んで、ちやほやしてきた。その結果、小保方晴子が台頭した。この種の気持ち悪いぶりっ子はなぜか大学に多く、小学校にはいないように思える。小学校の女性教師はもう少ししっかりしている。新井紀子もそうだけれども、この種の性(ぶりっ子)を公的な場所に持ち込むことに抵抗がない学者を見ると、俺は彼らは人間でなくホモ・サピエンスに見える。俺は緒方芳子は新井紀子よりもまともであると信じたいが、彼女の動画の幼児的な話し方を見ると、俺は緒方芳子の能力を疑わざるを得ない。

電飛

布施

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