なぜ天文学者の大石雅寿(mo0210)は軍事研究に反対するか?

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 天文学者の大石雅寿は軍事研究にtwitter上で反対してきた。一見すると、彼は平和主義者であるように見える。しかし、彼の本音とは、彼自身が責任を負いたくないことである。以下で、俺は大石の卑しい心理を提示する。この種の心理は大石だけでなく、菊池誠や牧野淳一郎や大栗博司や田崎晴明なども持っているだろう。

下記の動画はおそらく大石でないかと感じる。もし本当であるならば、俺は彼の話し方を見た後、彼はオタク的であり、普通でないと感じた。彼はヘラヘラ、ニヤニヤ笑いながら話している(英語それ自体は問題でなく、彼の年代を考えれば上手い方)。俺は彼の話し方に強烈な不快感と嫌悪感、気持ち悪さを覚えた。

以下で、俺は彼が敬虔なキリスト教徒でないと仮定する。なぜなら、キリスト教における平和主義は正当性を持つので、軍事研究への反対は宗教的には正当である。しかし、その場合、彼は米国や中国やロシアを平和主義の観点から批判する必要がある。

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1章 大石雅寿の心理

 大石雅寿の心理 大石雅寿は彼自身の不安を何よりも嫌う。彼は「不安が嫌である」ので、軍事研究に反対する。

 大石雅寿は彼自身の不安を何よりも嫌う。彼は「不安が嫌である」ので、軍事研究に反対する。言い換えると、彼は「責任が嫌、でもお金は欲しい、研究したい」と感じている。

1節 大石にとっての軍事研究

 大石にとっての軍事研究とは、次である。大石が軍事研究するとき、戦争が発生すれば、その研究が朝鮮人や白人やインド人や黒人を殺す可能性がある。朝鮮人や白人や黒人やインド人は大石を恨み、彼をその研究に関して批判するかもしれない。その時、大石は人前に立って、朝鮮人や白人や黒人やインド人と対峙する必要が出てくるかもしれない。

大石はその「対峙」が何よりも嫌である。当然、その理由とは、大石が朝鮮人や白人や黒人やインド人を間接的に殺したことを悔やんでるのでなく、彼が朝鮮人に批判されるのが何よりも嫌である。あるいは、その時、大石が自己の意見を正当化したり、謝ったりして、朝鮮人や白人や黒人やインド人と「対峙する」のを何よりも恐る。

大石にとって、朝鮮人のような異民族との対峙や白人や黒人のような異人種との対峙は彼の不安の原因である。たとえ朝鮮人や白人や黒人やインド人が殺されるとしても、大石は彼らに同情しない。大石が嫌がるのは、朝鮮人や白人や黒人やインド人との「対峙」である。対峙が不安で、不安が嫌なので、軍事研究に反対する。

2節 大石の考えた解決案

 大石の考えた解決案は次である。彼は軍事研究に参加しない。なぜなら、そのとき、たとえ彼の研究が朝鮮人や白人や黒人やインド人を殺すとしても、彼は知らないって言える。彼は朝鮮人や白人や黒人やインド人と対峙しなくて良い。彼は不安を覚えなくて良い。大石はこのように考える。

彼にとって、軍事研究への反対行為とは、彼の不安を回避するための一種の逃避行為である。彼にとって、平和主義とは、他者との対峙からくる彼の不安を回避するための道具である。大石は不安が嫌、でもお金欲しい、研究したいという痴呆老人的な本能を満足させるために、この解決案を持った。

2章 大石の行為の悪い(レッドカード)点

 大石の赤札 大石雅寿は彼自身の不安が嫌でので、異人種や異民族と一切対峙しようとしない。

 大石雅寿は彼自身の不安が嫌でので、異人種や異民族と一切対峙しようとしない。彼は軍事研究に反対するが、その理由は彼が自己の不安を回避したいからである。実際、もし彼が平和を本当に希求するならば、彼は米国や中国やロシアの軍事的な台頭を批判するべきである。

現在、アルメニアとアゼルバイジャンが互いに戦争している。そして、ドローンという兵器がその戦争には使用されて、科学技術がその兵器で使用されている。しかし、大石はそれを批判しない。なぜなら、彼がイケメンのコーカサス人を批判する時、彼はイケメンと対峙する必要があるからである。

結局、大石は人間社会における平和などにまるで興味を持っていない。彼は自分の不安のみが嫌なだけであり、自分の不安を回避するためならば、他人が死のうが関係ないのだろう。

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