考古学には、イラン系農耕民(neolithic Iranian farmers)という単語が登場する。しかし、この単語の定義や実体はきちんと説明されていない。そこで、筆者はイラン系農耕民が誰であるのかを彼の憶測で提示する。イラン系農耕民とは、Y染色体ハプログループJ2を持つコーカサス人(コーカサス人種)であった。
1.0 イラン系農耕民
1.1(俺系統の認識) イラン系農耕民はY染色体ハプログループJ2を持つコーカサス人(コーカサス人種)であった。
イラン系農耕民はY染色体ハプログループJ2を持つコーカサス人(コーカサス人種)であった。彼らの先祖はコーカサス地域で生活していた可能性がある。彼らの下位分類は中東小人種であるか、または地中海小人種である。
彼の憶測では、Y染色体ハプログループJ2はより農耕民的であり、彼らは彼らは氷河期の後に、コーカサス地域からアナトリア半島やイランへと移動、または南下した可能性がある。または、彼らはイラン西部、ホトゥ洞窟に1万年前にもともと生息していた(wikipedia)。一方、Y染色体ハプログループJ1はより遊牧民的であり、彼らは氷河期の後に、コーカサス地域からアラビア半島へと南下した可能性がある(電飛)。
また、イラン系農耕民は現代ゾロアスター教徒のイラン人に遺伝的に近い可能性がある(wikipedia)。ゾロアスター教徒のイラン人のY染色体ハプログループはY染色体ハプログループJ2、またはR1aである(論文)。
2.0 イラン系農耕民と文明
2.1(俺系統の認識) イラン系農耕民が農耕を世界へと拡散して、シュメール文明やインダス文明を形成した可能性がある。
また、エラム人も父系や核ゲノムでイラン系農耕民に遺伝的に近い可能性がある。シュメール人は農耕民族であった。この農耕という性質はイラン系農耕民やY染色体ハプログループJ2を連想させる。また、インダス文明は在来のインド人(ドラヴィダ人)とイラン系農耕民の混合によって形成された可能性がある。ただし、その混合の父兄はY染色体ハプログループHである可能性がある。
もし上記が正しいならば、イラン系農耕民はシュメール語とエラム語とドラヴィダ語を作った可能性がある。この時、もしある主体がY染色体ハプログループJを持つならば、その主体は屈折語を父系で話すという推論が成立しなくなる。ただし、この場合、J2が北アフリカ系統のY染色体ハプログループE1b1bによる言語交代を受けていないという仮定が必要である。彼ら自身がナトゥーフ文化やそこから発症した農耕文明の影響を受けた可能性もある。
2.2(俺系統の認識) イラン系農耕民の父系がユダヤ教とキリスト教とゾロアスター教を作った可能性がある。
もしムハンマドがY染色体ハプログループJ2を持っていたならば、イラン系農耕民の父系がユダヤ教とキリスト教とゾロアスター教とイスラム教を作った可能性がある。さらに、釈迦や龍樹がY染色体ハプログループJ2を持っていたならば、イラン系農耕民の父系がユダヤ教とキリスト教とゾロアスター教とイスラム教と仏教を作った可能性がある。筆者の憶測では、もし彼らが印欧神話も作っていたならば、非常に興味深いと感じる。
電飛
・The genetics of an early Neolithic pastoralist from the Zagros, Iran
・The Genetic Legacy of Zoroastrianism in Iran and India: Insights into Population Structure, Gene Flow, and Selection