物理学者・立川裕二(yujitach)は本当にノーベル賞級の天才でエリートか?

大和民族
https://www.ipmu.jp/ja/node/2346
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 立川裕二は国際的、かつ非常に優れた理論物理学者である。彼は東京大学を優秀な成績で卒業して、数学オリンピックでも優れた成績を残した(はず)。大和民族の科学者や数学者は立川裕二を “天才的” と感じているように見える。

しかし、日本列島の上の大和民族は立川裕二をそれほど評価していないように見える。以下では、俺はなぜ大和民族は大和民族の科学者や数学者をあまり評価しないのかを提示するつもりである。

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理由〜遺伝〜

視界と世界の区別の欠如

 俺の認識 立川裕二は自己と非自己や自己の世界を区別できないように見える。

 この性質は立川裕二だけでなく、大和民族の科学者や数学者に全般的に見られるように見える。俺の印象では、立川は彼自身の視界と世界を区別できない。立川は彼自身の視界を世界それ自体と誤認しているように見える。

その結果、外部から見ると、機械や動物っぽく見えるので、天才と認識されない。または、天才数学小学生のような知的能力の未発達を連想させる。立川が見てきた世界は立川の視界であり、世界それ自体でない。

青い目を持ったスウェーデン人の視界と黒い目を持った立川の視界が互いに異なるように、俺の視界と立川の視界は互いに異なる。立川の肉体を車体と仮定するとき、立川の視界は車体の中のカーナビやホログラムであり、立川自身(主体)はカーナビやホログラムをみる運転手である。

立川が彼自身の視界と世界を区別できないとき、立川は立川の視界の外の他者を認識できない。なぜなら、立川の視界が世界それ自体であるので、その世界には他者が存在しない。立川にとって、他者とは彼の視界に映る何かでしかないので、彼は視界に映らない他者を把握できない。

 アスペルガー症候群の人の考え方について、当事者の方がいらしたら教えてください。ある当事者の方のブログに「アスペルガーの特性で、自分の頭の中には主観と自己正当化しか無い」と書かれていました。

 現実には人はそれぞれ全く違う価値観や思想を持っているので、主観と自己正当化しか無い状態だと混乱することが多いのではないかと思います。実際に、当事者の方は他人とやりとりをしている時どのようなことを考えたり感じたりしているのでしょうか。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13185609913?_

 アスペルガー症候群の人って、自分の考えが絶対的に正しいと思っていませんか?他人には他人の考えがあるってことを、わかっていないですよね?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11114754931

 上記はアスペルガーに関する非専門家の審判である。俺が立川やそのほかの物理学者や数学者(言い換えると、アスペ)を見るとき、俺は上記の知恵袋を常に連想する。つまり、立川の世界には、他者が存在しないように見える。

上記では、「主観と自己正当化しかない」や「他人には他人の考えがあるってことがわからない」と指摘されている。なぜなら、この種の動物は自己の視界と世界のそれ自体を認識できないので、自己の視界=世界の全てと誤認識する。その結果、彼らは視界に映らない他者それ自体を認識できないように振る舞う。

幼稚性

 俺の認識 立川裕二は非常に幼稚であり、知的能力の発達が完全でないように見える。

 言い換えると、立川裕二は天才小学生や神童に近い存在であるように見える。彼の天才性は天才数学小学生のような天才性である。大和民族の大部分は立川裕二の知的能力に非常に驚かされるだろう。けれども、同時に、彼らは立川を知的に成熟した大人であると認識していない。だから、彼らは立川を天才と感じていない。

下記の引用が非常に参考になる。立川裕二は白人小人種でもコーカサス人種でもない。彼は東南アジア人やアメリカ先住民と同じモンゴロイド人種である。日本人の学者気取りの幼稚性は白人的幼稚さでなく、タイ人的な幼稚性である。要するに、彼らは子供っぽい。

 例えばタイに来た最初の年に大学で教えた時、彼らは幼稚園児かと真剣に思った。その後いろいろなタイ人と接しても10歳は精神年齢が低いと感じることがしばしばあったし、極めつけは中学生に教えているときだ。中学生のクラスはほとんど動物園であった。小学生のクラスなどきっとどう手をつけていいかわからないだろう。タイ人でさえ辞めて行く教師が多いのだ。

https://ameblo.jp/toruohayashi53231/entry-12032656467.html

肉体のデザインの劣等さ

 俺の認識 立川裕二は自己の優れた肉体のデザインを持っていない。

 立川裕二を含む大和民族の肉体のデザインは劣等である。また、彼らはデザインに対する関心を一切持っていないので、知的能力の発達が未発達、未成熟と認識される。その結果、彼らは天才と認識されない。

立川は肉体の悪いデザインを持つので、天才と認識されない。正確には、立川は自己の肉体のデザインに関する関心を一切持っていないので、彼は天才と認識されず、未発達な脳を持つ対象と認識される。一見すると、デザインと知的能力(数理能力)は無関係である。

しかし、デザインと知的成熟さは密接に関係する。例えば、チンパンジーのような動物や子供は自己の肉体のデザインや服装に全く関心を持ってこなかった。子供は成長の過程で、思春期を経て、自己の肉体のデザインに関心を持つようになる。この現象は知的成熟さや知的能力の発達の証である。しかし、立川を含む大和民族の学者は彼ら自身の肉体のデザインに関する興味を一切持ってこなかった。

 デザインに対する関心の低さはやはり知的能力の未発達を連想する。肉体のデザインだけでなく、彼らは文字のデザイン、建築のデザイン、都市景観のデザイン、websiteのデザインにすら興味を持ってこなかった。

一般人的には、デザインは幾何学それ自体であり、それは色や形や大きさ、比や配置に関係する。デザインに興味がないとは、日常的には、色や形、比や配置に興味を持っていないことである。立川は物理学者であるのに、デザインに関する興味を一切持っていないので、俺は違和感を覚える。

一方、地中海人や白人は成熟した脳を持ち、彼らはデザインに興味を持ってきた。その結果、彼らは肉体のデザイン、文字のデザイン、建物のデザインを幾何学と共に発達させてきた。一般人は彼らのような人々を知的であると認識する。

理由〜人工〜

善悪の欠如

 俺の認識 立川裕二は自己の善悪(レッドカード)を持っていない。

 だから、立川裕二は物事の善悪を彼自身で原理的に下せない。自己の善悪を持っていないサッカー審判が選手のハンド行為をレッドカードを判断できないように、立川裕二はこの世界の全ての物事を彼自身の善悪で判断することができない。

例えば、彼はアメリカ大陸の多様性が良いか悪いかを判断できない。アメリカ大陸の多様性は黒人奴隷と俺らモンゴロイド人種の虐殺の結果である。だから、俺らはその多様性を手放しで賛美するべきでない(科学事業の契約相手のほとんどはモンゴロイド人種)。しかし、幼稚な人々は多様性をなんとなく雰囲気で賛美する。

認識の欠如

 俺の認識 立川裕二は世界に対する自己の認識を持っていない。

 例えば、立川裕二は欧州人がアメリカ大陸で統治者を担っていて、石油や食料という資源を支配していることをうまく認識することができない。俺はこの状態を白人帝国主義の継続と認識する。しかし、子供が自己のいじめ行為をいじめと認識することができないように、立川裕二は自己の現状をモンゴロイド人種に対する奴隷的な状態を認識することができないように見える。

俺らが幼児であるとき、俺らは性行為の意味を把握できないので、俺らは大人によって性的に搾取されていることを認識できない。幼児性のために、彼らは彼ら自身が何をされているかを認識できない。俺の印象では、立川は白人や黒人がアメリカ大陸で生活していることに不自然さや違和感を覚えていないように見える。

俺はこの状態を白人帝国主義や植民地主義(アメリカは移民の国家でない)や Scramble for Africaの継続と認識する。または、俺は現在のアメリカ大陸の状態を「モンゴロイド人種に対する明確な奴隷化」と認識する。アメリカモンゴロイド人種でなく、白人がアメリカ大陸の資源や食料を所有して、モンゴロイド人種に売りつけて、利益を貪る。俺らは白人から食料や資源を購入するために、俺らは一所懸命奴隷的に労働する必要がある。ひどい場合には、白人が俺らの土地から爆弾や原子力爆弾をモンゴロイド人種の領土に落として、虐殺してきた。

さらに、俺らモンゴロイド人種はアメリカ大陸で大統領(統治者)になれない。ある種のホモ・サピエンスが自己の自然な生息地でその土地の統治者になれないならば、その状態は明確な奴隷化である。けれども、立川は幼稚であるので、彼は彼自身(彼の妻や娘も)が奴隷にされていることを認識できない。

俺の言ってることがわからないならば、モンゴロイド人種をネグロイド人種に置き換えればわかりやすい。もし白人がアフリカの資源を所有して、ネグロイド人種がそれを購入するために、奴隷労働しなければいけないならば、その状態は奴隷状態である。加えて、もし白人が爆弾をカメルーンからケニアへと落とすならば、その状態も不自然な状態である。さらに、もしネグロイド人種がアフリカ大陸で統治者になれないならば、その状態は明確な奴隷状態である。

意味の欠如

 俺の認識 立川裕二は物事の意味を把握することができない。

 例えば、立川裕二はアメリカ大陸の多様性の意味をうまく把握していない。加えて、彼は国民国家の意味や日本国の憲法の意味も把握していないように見える。けれども、立川裕二は非常に正確で豊富な知識を持っている。

現在の日本国は国民国家である。俺の印象では、立川は国民国家の意味を把握できない。国民国家とは白人がアメリカモンゴロイド人から土地を奪いそこに国家を打ち立てるための略奪的略奪的虐殺的概念である。白人にとって国民国家とは土地を先住民から奪うための概念でしかない。

立川が国民国家の概念を認めるとき、白人がアメリカモンゴロイド人種を押しのけて、俺らのモンゴロイド人種の大陸に居住する正当性を獲得する。だから、立川が国民国家を採用することは正当でない。なぜなら、それはアメリカモンゴロイドの土地を白人に略奪させ続けることと同じである。

立川を含むモンゴロイド の大部分は国民国家に反対して、自然国家?に賛成し続けるべきである。そのとき、俺らモンゴロイド人種はアメリカ大陸を取り戻せるだろう。モンゴロイド人種が国民国家の存在を認めて、肯定するとき、俺らは白人が俺らの自然な生息地を略奪することを間接的に認めていることになる。

 また、(まともな東洋人にとっては)明治維新は単なるクーデターであった。正確には、西側白人と結託したキリシタン大名による東洋国家のキリスト教化である。しかし、立川を含む科学者や数学者は明治維新や民主制度やその後の日本国憲法を素晴らしい何かや近代化であると錯覚しているように見える。

普通に考えれば、非キリスト教徒の原住民(大和民族やアイヌ民族、琉球民族)が殺人罪というキリスト教由来の罪の概念で罰されていることが正当でないと感じる。その状態は卓球選手(東洋人)がサッカー(西洋文明)で罰されているような状態である。立川は幼稚であるので、このような状態に違和感を覚えない。

なぜなら、彼は文明の意味や宗教の意味、善悪や善悪の正当性それ自体を認識できない(知識はある)。もし仏教徒がサウジやイスラエルで仏教の概念でイスラム教徒やユダヤ教徒を罰するならば、その状態はおかしいだろう。

理由〜文明〜

自己の宗教や文明の欠如

 俺の認識 立川裕二は自己の宗教や自己の文明を認識していないように見える。

 または、立川は自己の宗教や自己の文明それ自体を持っていない。立川は自己の宗教や自己の文明を認識できない。それだけでなく、立川は自己の歴史も自己の国家も認識できないように見える。

ここでの要点は「自己の」である。俺は立川は宗教や文明や国家や歴史に関する性格で豊富な知識を持っていると認識している。しかし、彼は「自己」それ自体を認識できないので、彼は自己の宗教や文明を認識できないので、彼はトンチンカンな応答を繰り返す。

左の画像を見よう。そこでは、立川は男女平等にすべきであると呟きた。しかし、男女平等という概念はキリスト教由来の概念である。俺の勝手な印象では、立川はキリスト教徒でないので、彼は男女平等に賛成する必要はない。

東洋人はキリスト教徒でないので、彼らは男女平等に賛成する必要はない。けれども、彼らはなぜか白人の真似をして、男女平等に賛成している。俺の印象では、立川は宗教や文明それ自体を認識できない。だから、彼らは男女平等に意味もわからず、なんとなく雰囲気で賛成している。

彼は「自己」と「自己の文明」と「自己の宗教」それ自体を認識できない。だから、彼は耶蘇的な男女平等に賛成して、キリスト教的な憲法や殺人罪で罰されてることに違和感を覚えない。立川は刑罰それ自体を認識できないのか、宗教や文明が刑罰それ自体に関係することを認識できない。

だから、立川は俺らがキリスト教的な刑罰によって罰されることのおかしさを認識できない。東洋人は罪の文明でなく、礼の文明である。もし立川が自己の宗教や自己の文明を認識できないならば、彼はエリートですらない。

自己の国家の欠如

 俺の認識 立川裕二は(文明的な意味で)自己の国家それ自体を認識していない。

 ここでの要点は「自己の」である。俺は立川は宗教や文明や国家や歴史に関する性格で豊富な知識を持っていると認識している。しかし、彼は「自己」それ自体を認識できないので、彼は自己の宗教や文明を認識できないので、彼はトンチンカンな応答を繰り返す。

上記でも述べたが、国民国家とは、白人が色付きの自然な生息地を奪うための侵略的な思想である。だから、もし彼が国家概念を認識できるならば、彼は国民国家それ自体に反対する必要がある。けれども、彼もそのほかの大和民族も国家概念それ自体を認識できない。だから、彼らは米国の存在を認めて、国民国家や国民を拒否しない。

国家制度は国民国家だけでないが、立川は国家概念それ自体を認識できないので、国民国家が全てであると思っている。アメリカ先住民は国家概念を持たなかったので、彼らは白人によって虐殺された。同様に、立川はアメリカ先住民のように、国家概念を持っていない。アメリカ先住民も立川も国民国家が国家の全てであると感じているように見える。

3節 自己の歴史や自己の国家がない

 また、立川は自己の歴史それ自体も認識できない。例えば、上記で述べた多様性もそうである。もし立川が歴史を認識する人間であるならば、彼は多様性を悪いと判断して、多様性を悪いと判断する歴史を残そうとする。けれども、この種の大和民族の学者は白人と一緒になって、多様性は素晴らしいという歴史を書こうとする。

善悪の判断が狂った歴史が現在進行形で描かれるのに、立川はその状態に適切的に応答して、歴史を書こうとしない。彼はぼーっと見ている。アメリカ大陸における多様性は、モンゴロイド人種の虐殺の結果である。もし立川がそれを主張し続けないならば、その多様性は白人によって、素晴らしいと描かれる。しかし、立川は白人との対峙を嫌がるので、彼は沈黙を貫いてきた。

このとき、俺は彼は自己の歴史の概念を持っていないように見える。もし立川が多様性は悲劇であると主張しないならば、誰がそれを主張し続けるのか?立川は文明の概念を認識できないので、白人に歴史や文明を描いてもらおうとしているように見える。

もし立川が本当にエリートであるならば、彼が歴史をモンゴロイド人種の観点から書くべき。もし立川が白人と対峙しないならば、白人は多様性を素晴らしいとみなし、彼らはそのような歴史を書き西洋文明を創造するけれども、立川は白人によるその行為に賛成するか?

 アメリカ大陸は我々モンゴロイド人種のものである。もし立川が白人によるアメリカ大陸の占有を認めるならば、白人はアジア地域で同じ間違いを繰り返すだろう。白人種の先住地は欧州大陸であり、アフリカやアジアやアメリカでない。にもかかわらず、彼らは侵略の結果としてアメリカ大陸を不当に占有している。