Y染色体ハプログループGはシュメール語に対応するか?〜ジョージア人とグルジア語(カルトヴェリ語族または南コーカサス語族)〜

地中海小人種
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一般的に、シュメール人は謎の民族であると考えられてきた。言語的にも、シュメール語は孤立した言語であり、それは印欧語族やセム語族と異なる。シュメール語は膠着語であったので、それは同じ膠着語であるドラヴィダ語族やエラム語との関連を指摘されてきた。

以下では、筆者はシュメール語がどの父系(Y染色体ハプログループ)に対応するのかを憶測する。筆者の印象では、シュメール語に対応する父系はY染色体ハプログループJ2かGである。または、それはE1b1bに対応する。

Gの場合、シュメール語はY染色体ハプログループGの言語(グルジア語)に近いかもしれない。言い換えると、シュメール語はカルトヴェリ語族(南コーカサス語族)であるかもしれない。筆者の個人的な憶測では、アナトリアにおける初期農耕民(電飛)はY染色体ハプログループGを持っていたように思える。

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1章 Y染色体ハプログループJ2

【俺系統の認識】
シュメール語はY染色体ハプログループJ2に対応した。

つまり、シュメール語の父系はY染色体ハプログループJ2であった。新石器時代には、Y染色体ハプログループJ2はコーカサス山脈やアナトリア東部やイランのザグロス山脈に住んでいた可能性がある。彼らはいわゆるイラン系初期農耕民であった。シュメール人はザグロス山脈からメソポタミアへと東方移動したか、コーカサス山脈やアナトリア東部からメソポタミアへと南方移動した。

彼らはシュメール語やエラム語を話していた可能性がある。この場合、シュメール語やエラム語はY染色体ハプログループJ2に対応する可能性がある。つまり、Y染色体ハプログループJ2は屈折語でなく、膠着語を話していた。ただし、この過程はY染色体ハプログループJに対応する父系言語は屈折語であることに反する。トルコ人はY染色体ハプログループJ2を持つが、言語交代のために、トルコ語は膠着である。

考えられる憶測は次である。元々、Y染色体ハプログループJ2は整備された言語を歴史的に始めに創造して、話した人々の1つであった。そして、その言語は膠着語であった。彼らはその言語をドラヴィダ人やモンゴル人に伝達した。そのため、彼らは膠着語をドラヴィダ語族やアルタイ諸語(語族)として今でも話している。

一方、R1系統(印欧語族)やJ1系統も同様に、彼らは最古の言語を彼らから学んで改良した。ヤムナ人が中東人から学んだ馬の家畜化を改良したように。その結果、より発展した言語として、屈折語が生まれた。その言語はシュメール語やエラム語を含む古い膠着語を淘汰した。しかし、それらは辺境に存在するドラヴィダ語族やアルタイ諸語(語族)を淘汰することはできなかった。

なお、ウラル語族やY染色体ハプログループEやアメリカ大陸におけるY染色体ハプログループQに対応する言語は不明である。サピエンスの言語は抱合語→膠着語→屈折語という流れで発達してきた可能性がある。

2章 Y染色体ハプログループG

【俺系統の認識】
シュメール語はY染色体ハプログループGに対応した。

このGには、初期欧州農耕民や現代コーカサス人が存在する。wikipediaの分布(電飛)を見ると、Y染色体ハプログループGはコーカサス山脈に50パーセント以上で分布している。ジョージア人(グルジア人)のY染色体ハプログループをwikipedia(ジョージア人)で調べると、ジョージア人のY染色体ハプログループの3割はG系統である。

このGがシュメール語に対応する父系である可能性がある。加えて、Y染色体ハプログループGはペルシャ地域にも25パーセントから50パーセントの範囲で分布している。なぜかカザフスタンあたりにも25パーセントから50パーセントの範囲、または50パーセント以上で分布している。

【俺系統の思考規範】
もしY染色体ハプログループ(父系)と言語が一致するならば、Y染色体ハプログループGはカルトヴェリ語族(南コーカサス語族)に対応する。

そして、もしシュメール人のY染色体ハプログループがG系統であるならば、シュメール語はカルトヴェリ語族(南コーカサス語族)に対応する。シュメール語もカルトヴェリ語族(南コーカサス語族)も膠着語である。

なお、Y染色体ハプログループGはアナトリアにおける初期農耕民であった可能性がある。Y染色体ハプログループGは彼らの農耕を欧州へと持ち込んだ。けれども、欧州への印欧語族への流入により、Y染色体ハプログループGは父系では絶滅させられた。

シュメール人は農耕民族であった。もしY染色体ハプログループGがアナトリアの農耕民族であったならば、そのとき、Y染色体ハプログループGも農耕民族であった。なお、Y染色体ハプログループJ2かJ2の一部も農耕民族であった可能性がある。彼らはインド方面に移動して、農耕をインドに持ち込み、かつインダス文明を創造した。Gは欧州へと西方移動して、J2はインドへと東方移動した。

3章 Y染色体ハプログループE1b1b

【俺系統の認識】
シュメール語はY染色体ハプログループE1b1bに対応する。

上記の場合、シュメール人の父系はエジプト人の父系E1b1bに近い。ただし、エジプト人とシュメール 人の宗教観や文字に対する感覚は非常に異なっているように思える。

エジプト人は文字を宗教的な何かと認識した一方、シュメール人は商業優先である。エジプト人の宗教観は牧歌的な多神教的であった一方、シュメール人はセム人の宗教の前段階っぽいように感じる。彼らの共通点は多神教的であった、農耕民族であった、かつ戦争に弱そうであったことである。

なお、もしシュメール人の父系がE1b1bであったならば、ナトゥーフ人の子孫である可能性がある。そして、ナトゥーフ人はシュメール語と関係する言語を話していた可能性がある。もしシュメール人のmtDNAからL系統が検出されたならば、シュメール人はアフリカからメソポタミアへと移動した可能性が高くなるだろう。

この場合、全ての言語の父はセム人でなく、Y染色体ハプログループE1b1b系統になる可能性がある。ナトゥーフやシュメール系統の言語がJ系統のセム人に母系で伝わり、さらにR系統のアーリア人に母系で伝わり、インドにも伝わり、ドラヴィダ語族になり、遼河地域にも伝わり、ウラル語族になり、世界へと広まっていた。この過程で、セム人やアーリア人は伝達された言語を適切に改良して、膠着語を屈折語へと変化させていったかもしれない

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