デジタル庁内閣官房IT総合戦略室の大橋正司(サイフォン )と日本人技術者の問題〜noteにおける意味不明なカタカナ用語〜

大和民族
https://note.digital.go.jp/n/nf2c340029002
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https://note.digital.go.jp/n/nf2c340029002

 俺が上記の記事を読んだ後、俺はデジタル庁はうまくいかないかもしれないと感じた。以下では、俺は上記の記事に関する問題点を提示する。個人的な印象では、大和民族の技術者の問題とは、彼らが自己の社会を形成する能力を持っていないことである。

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大橋正司の問題

社会形成能力の欠如〜言語〜

 問題点:大橋正司は自己の言語システムを形成する能力を持っていない。

 大橋正司は自己の言語システムを形成する能力を持っていない。例えば、大橋正司の記事では、カタカナ用語が不必要に使用されてきた。当然、人々は大橋正司の記事を当然読むことができない。

にも関わらず、大橋正司はこのカタカナ用語の状態を「何かおかしい」と認識できないし、その認識が悪いかを判断できない。大橋正司はアクセシビリティという単語を「参入性」という日本語に翻訳する能力を持っていない。一般的に、大和民族の技術者は自己の言語システムを形成する能力を持っていない。

だから、大和民族の技術者に好きにやらせると、日本語が文字通り崩壊して、日本国の景観や東南アジアのごちゃごちゃした景観、つまり清潔なスラム街みたいな日本語状態が登場する。もっと悪くいうと、大和民族の技術者は言語それ自体(言語の概念それ自体)を認識していないように見える。だからこそ、彼らは大坂なおみが日本語を話さないのに、日本国民であることに違和感を覚えない(どうやって彼女と意思疎通するのか?)。

意思疎通能力の欠如

  問題点:大橋正司は他者と意思疎通する形成する能力を持っていない。

 大橋正司は他者と意思疎通する形成する能力を持っていない。上記では、カタカナ用語が使用されていた。この状態は大橋正司は他者と意思疎通する形成する能力を持っていないことを暗示する。

個人的な印象では、大橋正司は彼自身が知っていることと読者が知っていることをうまく区別できないので、彼は自分が知っているカタカナ用語を多用するように感じた。この種の性質は数学者や科学者にも観察されるが、発達障害やアスペルガーを医学素人である俺に連想させた。

また、大橋正司の意思疎通の欠如は彼自身の宗教や善悪を明らかにしないことにも表れている。一般的に、大和民族は自己の宗教も善悪も明らかにせずに、政治活動や社会活動を実行しようとする。外部から見ると、俺らは彼らがキリスト教系統の社会を実現したいのか、儒教系統の社会を実現したいのかわからない。君らは何をやりたいのか?と感じる。

日本人技術者の問題点

社会形成能力の欠如

 日本人技術者の問題点:大和民族の技術者は自己の社会を形成する能力を持っていない。

 大和民族の技術者は自己の社会を形成する能力を持っていない。上記におけるカタカナ用語を見ればわかるように、彼らはアクセシビリティという単語を日本語訳して、自己の日本語社会を形成することすらできない。一見すると、アクセシビリティという謎の単語を「参入性」という日本語に翻訳することは非常に簡単見える。

けれども、もし俺らが自己の言語に関する自己の社会を形成する能力を持たないならば、俺らはこんな簡単な社会?すら形成できない。一般的に、大和民族の技術者は高い技術力と数理能力を持っていて、博識である。しかし、彼らは自己の言語すら形成できない水準の社会形成能力のみを持っている。

当然、大和民族の技術者は自己の言語社会システムを形成できない。大和民族の技術者は自己の景観も形成できない。さらに悪くいうと、大和民族の技術者は自己の社会それ自体を認識していないか、自己の社会を彼ら自身で形成するという発想をそもそも持っていない。

選手が統治者

 日本人技術者の問題点:大和民族の技術者は自己の社会を形成する能力を持っていないにも関わらず、彼らは彼ら自身を自己の社会の統治者や自己の社会の形成者と勘違いする。

 大和民族の技術者は自己の社会を形成する能力を持っていないにも関わらず、彼らは彼ら自身を自己の社会の統治者や自己の社会の形成者と勘違いする。俺らが “先生” と呼ばれる医者や学者や弁護士を見るとき、俺らはこのことを感覚的に把握することができる。技術者も医者も学者も弁護士も運動競技における優秀な選手であり、運動競技(社会システム)の管理者(試合における管理者は審判)や運動業界の統治者でも、ましては運動競技の形成者でもない。

にも関わらず、この種の選手が “偉く” なって、先生と呼ばれて、おだてられるように見える。技術者の場合は、大和民族の多神教の性質が優秀な技術者を一種の神様をみなす。しかし、大谷昇平や西アフリカ人の優秀な運動選手がサッカーシステムの管理者や統治者でないように、彼らはシステムにおける優秀な選手(労働者)である。日本社会では、単なる優秀な労働者が先生と呼ばれて、主導権を握ろうとする結果、誰も社会(システム)を形成したり、誰も社会(システム)を管理したりできなくなって、デジタル庁みたいに迷走する。

俺らが単なる知的に優秀な運動選手を「先生」や「神様」とみなしておだてた結果、日本列島の上の街並みの景観は完全に崩壊して、日本語それ自体もカタカナ用語で崩壊しつつある。技術者も医者も学者も弁護士もこの社会(ソサエティ)の崩壊に関する問題を解決できない。

デジタル庁は失敗するだろうか?

俺の霊感

 俺の霊感:デジタル庁は社会システム(運動競技)における組織(試合)の形成に失敗するだろう。

 デジタル庁は社会システム(運動競技)における組織(試合)の形成に失敗するだろう。もしある組織が言語に関する取り決めを軽視するならば、その組織は失敗するだろう。これが俺の個人的な霊感である。

もしあるサッカーチームのそれぞれの選手や監督がアラビア語や英語や中国語を話して、言語による意思疎通や言語的な統一を軽視するならば、その時、そのチームはチームの形成に失敗する。たとえそのチームが天才的な選手を参加させるとしても、もしその選手が他の仲間や監督と一切意思疎通できないならば、そのチームはうまく機能しないだろう。

もしデジタル庁がカタカナ用語を多用するならば、その庁は言語それ自体(言語の概念)を持っていないことである。もし言語が軽視されるならば、その時、その組織はそもそも初めから正常に形成されないだろう。個人的には、日本国のITが失敗してきたのは、この “言語の軽視” であるように感じる。