国際日本文化研究センター(京都市西京区)の助教だった呉座勇一氏が会員制交流サイト(SNS)上で不適切な発言を繰り返していた問題で、人事権を持つ人間文化研究機構(東京)が停職1カ月の懲戒処分を行っていたことが、20日までにわかった。処分は9月13日付。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/662517
俺は上記の速報に反対する。なぜなら、(俺は呉座の発言を知らないが…)呉座勇一の処分は彼の行為に対して公平でない。以下では、俺は上記に関する問題点を提示するつもりである。個人的には、俺は大和民族の学者は自己のまともな組織を形成することができないので、学問の自由や大学の自治を廃止する必要があると結論づける。
呉座勇一
処分
俺の認識 呉座勇一に対する処分は彼の行為に関して公平でない。
俺は彼の発言を見た後、俺は彼の行為は非常に幼稚であり、バカっぽいと感じた。呉座勇一の炎上は彼の幼児的な性格や電街のノリ(5chやまとめサイト)の結果でもあるように見える。もし呉座勇一が何かを真剣に言及していたならば、たとえ彼の発言がより過激であるとしても、彼の発言は問題にならなかっただろう。この点では、呉座勇一の発言は杉山啓の性的な発言に似ている。
個人的には、俺は上記の弁護士の意見に賛成である。呉座勇一の炎上は彼の幼児的な発言を見ると、不回避であったように感じる。しかし、呉座勇一の行為と処分は全く公平でも平等でもないように見える。実際、呉座勇一よりも危険な発言を繰り返している大学教員(欧州人を含む)は存在している。例えば、ゲーデルの不完全性定理を理解できないバカやくず、汚物と侮辱を繰り返す数学者が存在する。しかし、彼らは何の処分も受けていないだろう。
今回の速報の問題点とは、平等や公平性の欠如であるように見える。呉座勇一に対する炎上や批判はある程度は予想されていただろう。もし呉座勇一が彼の所属先を訴えるならば、俺は彼の訴えに賛成する。個人的には、俺は呉座勇一は(処分に関しては)弁護される存在であるように見える。
問題点
公平性の欠如
俺の認識 今回の処分は公平でない。
今回の処分によって、呉座勇一は金銭的な損害を受けるだろう。けれども、俺は呉座勇一の発言がどの程度の損害を誰に与えたのかが不明瞭であるように見える。誰にも損害を与えていないのに、処分によって、呉座勇一に金銭的な損害が与えられるならば、この状態は相互的でない。
一般的に、大和民族は社会性を持っていないので、彼らは平等や公平性に関して無関心であってきた。だから、彼らは本当に小さなことを大げさに騒いで、上記のような処分を下す一方、彼らは小保方晴子の捏造や正高信男の捏造に関しては法律を適用せずに、なあなあにしようとする。彼らは “世間をどれくらい騒がせたか” を感じて、処分をその場のノリ決定しているように見える。
大和民族は本当に感情的であり、彼らは快不快や好き嫌いや不安安心でしか、物事を感じ取ることができないように見える。彼らは白人との対峙に不安を覚えるので、たとえ白人が同じ発言を実行するとしても、彼らはその発言を問題にしないし、白人に処分も下されない。なぜなら、白人との対峙が怖いから。けれども、呉座勇一が同じ発言を実行すると、醜いアジア人がやってることは許せなくて、今回のような処分が下される。一度、他者との対峙に不安を覚えると、その他者が何をやっても処分されない一方、不安を感じない他者に関して、くだらない発言で大げさな処分が下されるようになる。
姫の感情(悲鳴)
俺の認識 大和民族の学者は姫(女)の感情を損ねたことを悪いと感じているように見える。
一般的に、大和民族は他人の感情を損ねたことを悪いと感じる。けれども、善悪は感情と異なる。今回の処分では、呉座勇一はある女性研究者と呼ばれる大学職員の悪口を言っていたらしい。その後、その職員がほろっと傷つきましたと言えば、周りのキモオタがその姫を延々と擁護して、呉座勇一の発言が不公平にも大問題になる。この種の状態はIT技術者や大学のようなキモオタ系組織では頻繁に観察される。そこでは、姫の感情や姫の感情を損ねることそれ自体が悪い(レッドカード)になってしまう。けれども、サッカー選手の感情を損ねることがレッドカードでないように、他人の感情を損ねることは(限度があるが)悪くはない。
俺が今回の処分を見ると、呉座勇一の行為は女性職員の感情を損ねたや世間を騒がせたので、悪い(レッドカード)と判断されたように見える。しかし、呉座勇一の発言がどの程度の損害を他者に与えたのかすら不明瞭である。呉座勇一の幼稚な発言を見ると、人々は不快感を覚えるだろう。または、人々は彼の幼稚さに呆れて失望するかもしれない。しかし、それらの感情は他者に対する損害でない。異常な組織では、姫の感情を損ねることそれ自体が悪い(レッドカード)になり、姫の感情を損ねると、処分が下されることになる。
怒られるのが怖い
俺の認識 井上章一、または人事権を持つ主体は怒られるのが怖いので、彼は呉座勇一を処分したように見える。
一般的に、大和民族は自己の不安を非常に嫌う。だから、彼は不安を感じると、彼らはすぐに謝罪して、相手に許してもらおうとしたりする。または、彼らは身内を生贄に捧げて、世間や姫、ヤマタノオロチの怒りを鎮めようとする。今回の件でも、井上章一、または人事権を持つ主体は「とりあえず謝って、生贄(処分)しとけば良いや」みたいなノリで呉座勇一を処分したように見える。彼は他者と対峙して、自己弁護するのでなく、神々から許されるために、神様に許してもらうために、生贄(処分)するように見える。
日文研の井上章一所長は「被害を受けられた方々、また不快な思いを抱かれた方々に対し、改めて心よりお詫び申し上げます」などとするコメントをホームページ上に掲載した。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/662517
上記の文章が典型的である。井上章一は「被害を受けられた方々」と「不快な思いを抱かれた方々」と言う文句を使用した。しかし、被害とは損害であり、誰がどの程度の損害を受けたのかは不明である。加えて、不快な思いを抱かれたというが、不快な思いを抱かれた人間が存在したからといって、職員が処分されるのは公平でない。井上章一は「俺は呉座勇一に礼節を持って電街を使用するように指摘した」と言えば十分であったように思える。
結局、井上章一は他者との対峙を恐れて、自己の職員の行為に対する自己弁護や正当化を放棄しているように見える。とりあえず謝っとけば良いや、とりあえず呉座勇一を生贄に捧げて(処分して)、神々の怒りを鎮めれば良いや…このように感じているように見える。欧米では、ポリコレが流行っているし(笑)ポリコレや欧米の状況を悪用すれば、呉座勇一に対する処分の善性が正当化されるだろうと感じてるように見える。彼らは「欧米はポリコレであったので、あの時は、呉座勇一の処分は、しょうがなかったんです」と被害者仕草を実行すれば、許されると感じているように見える。
もし井上が上記の処分を下すならば、彼はこの処分に関するきちんとした応答義務を実行する必要がある。上記の速報では、人事権は異なる組織に存在するらしい。