映画監督の想田和弘と柏木規与子は法律や文明や宗教を認識しているのか?〜夫婦別姓訴訟〜

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 アメリカで別姓のまま法律婚したにもかかわらず、日本の戸籍に婚姻が記載されないのは、立法の不備があるなどとして、映画監督の想田和弘さんと舞踏家で映画プロデューサーの柏木規与子さん夫妻が、国を相手取り、婚姻関係の確認などを求めている訴訟が1月27日、東京地裁で結審した(市原義孝裁判長)。訴状などによると、想田さんと柏木さんはアメリカ・ニューヨーク州に在住の日本人で、1997年にマンハッタンにあるニューヨーク市庁舎で、夫婦別姓のまま結婚した。海外で結婚する場合は、現地の法律に基づいて行われれば、国内でも婚姻は成立しているとみなされる(法の適用に関する通則法第24条)。

 しかし、国内では夫婦同姓でないと夫婦の戸籍が作成されないため、法律婚した夫婦であるにも関わらず、戸籍上で婚姻関係を公証できない状態にある。そのため、法律上の不利益を被っているとして、婚姻関係の証明を受ける地位にあるとの確認などを求めている。 また、「外国の法律に従った方式によって別姓のまま結婚した日本人夫婦について、長期にわたって婚姻関係を証明する制度を設けていない国の立法不作為は、婚姻の自由を定めた憲法24条に違反する」などと主張してきた

https://news.yahoo.co.jp/articles/09c32d237c2fbe5549d66ebb6e93b99c186d88cb

 俺が上記の速報を見た後、俺は強烈な違和感を覚えた。なぜなら、想田和弘と柏木規与子は「アメリカが夫婦別姓をやってるのだから、日本もやれ」と主張しているように思える。この種の主張を繰り返す日本人を見るとき、俺は大和民族は法や国家や文明、そして宗教それ自体を認識できない民族であると審判する。

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想田和弘と柏木規与子

 俺の審判:想田和弘と柏木規与子は法律や国家や文明、そして宗教それ自体を認識していないホモ・サピエンスである。

 正確には、想田和弘と柏木規与子は自己の法律や自己の文明、そして自己の宗教それ自体を認識していないホモ・サピエンスである。法律や文明、そして宗教それ自体を認識していないのは大和民族に特徴的である。

アメリカでは〜?

 強引に例えると、外国では大麻は合法だから日本も合法でないのはおかしいっていう主張みたいなもの。現行法では無理筋なので、裁判所に訴えるのではなく、政治家に夫婦別姓を認めろと訴えるべき。

https://news.yahoo.co.jp/articles/09c32d237c2fbe5549d66ebb6e93b99c186d88cb/comments

 俺が上記の速報を見た後、俺は想田和弘と柏木規与子は「アメリカでは、夫婦別姓が認められているのだから、日本も夫婦別姓を認めろ」と暗に主張しているように思える。この種の主張は大和民族に典型的であり、彼らは「欧米では、夫婦別姓だから日本も認めろ」と主張する。

しかし、日本国と米国は異なる国家であり、国家が異なるとき、法律それ自体が異なる。言い換えると、文明や国家や社会の違いは運動競技の違いに対応する。想田和弘と柏木規与子の主張は卓球選手に対して、サッカーではボールを蹴って良いのだから、卓球でも認めろと主張しているように見える。

この他にも、想田和弘と柏木規与子のような大和民族は「欧州では、二重国籍が認められているのだから、日本も認めろ」などや「欧米では、博士号は博士として尊敬されている(だから、日本人も博士と呼べ)」や「欧米では、刺青や大麻が認められている(だから、日本も認めろ)」と主張し始める。

認識の欠如

 なぜ想田和弘と柏木規与子のような大和民族は上記のような欧米の都合の良い部分を切りはりしようとするのだろうか?俺の印象では、想田和弘と柏木規与子のような大和民族は文明という運動競技それ自体を認識していない。彼らは運動競技それ自体を認識していないので、彼らは卓球という運動競技とサッカーという運動競技をごちゃ混ぜにできると感じるらしい。

普通に考えればわかるが、卓球とサッカーとラグビーを混ぜれば、運動競技それ自体が崩壊する。だから、卓球とサッカーとラグビーは別の競技に分かれている。けれども、想田和弘と柏木規与子も運動競技の違いを認識してないので、サッカーの決まりを卓球へとなんとなく持ち込もうとする。その結果、言ってることがめちゃくちゃになる。

もし想田和弘と柏木規与子が国家や文明それ自体を認識しているならば、想田和弘と柏木規与子は異なる運動競技の決まりや文化を安易に持ち込むことができないと審判できるだろう。けれども、彼らは自己の好き嫌い、快不快、安心と不安で、夫婦別姓や罪の概念やジェンダー平等に賛成したりする(それらはキリスト教だろうと認識できていない)。

白人の状態が神〜霊言〜

 日本の宗教とはこうあるべきだな。宗教の教義や理屈などを抜きして、とにかく触ると病気がなんとなく治り、なんとなく皆でわーっと楽しんでですね、なんとなく前向きな気分になれる、挨拶で気分が明るくなるみたいなね、そういうのが日本の宗教の一般的なものなのかなと、日本のよくあるおばちゃん向け宗教に対して、宗教としての合理性やあるいは聖典の確実性とかね、そういうことを聞いた私が野暮であった

https://www.youtube.com/watch?v=pE5PC57I61c

 また、想田和弘と柏木規与子には、別の問題が存在する。それは白人の状態が神になっていることである。想田和弘と柏木規与子は白人の状態を霊言すれば、想田和弘と柏木規与子は日本人がその霊言に従ってくれるとなんとなく感じている。

その結果、想田和弘と柏木規与子は「アメリカでは、夫婦別姓が認められている」と主張するだけである。想田和弘と柏木規与子はなぜ東洋文明において夫婦別姓が正当であるかを絶対に主張しない。想田和弘と柏木規与子は責任を追わないように、アメリカや白人を霊言して、日本国の法律を霊言で都合よく変化させようとする。

想田和弘と柏木規与子のような大和民族は自己の宗教も善悪も審判も認識も判断も公的に提示せずに、白人の都合の良い霊言をなんとなく引用して、相手から同意や共感や納得を獲得して、政治活動を実行しようとする。想田和弘と柏木規与子は彼ら自身の実現したいソサエティ(キリスト教か仏教か儒教か)すら明らかにせずに、白人の霊言に勤しむ。

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