人工世界〜俺らの宗教〜

人工世界〜俺らの宗教〜俺らの宗教(主体)

宗教とは、世界と人間と目的の組みであった。日常的には、この宗教における宗教とは、人工的な世界であり、それは物質世界の上に創造され、召喚される。

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俺らの宗教(主体)

性教育について〜Jeffrey Toobinがzoomで自慰行為〜

 ニューヨーク(CNN Business) 米誌ニューヨーカーは11日、著名ライターでCNNの法律アナリストを務めるジェフリー・トゥービン氏を解雇した。ビデオ会議システム「ズーム」を利用して先月行われた会議の最中に、誤って同僚に下半身を露出したことが問題視された。  上記を速報を見た後、俺はこの宗教に関する性教育を思いついた。上記の人間は非常に不注意であったが、この種の失敗は繰り返されるだろう。そして、何人かの自殺者も生じるだろう。これを防止するために、俺は以下の性教育を提示する。 1章 性的な教育は口に出して伝えよ  この宗教では、両親は子供へ次のようなことをきちんと伝達せよ。まず始めに、子供に「自慰行為や性行為を電子計算機の前で、カメラや音声を物理的に切らずに絶対にするな」と厳しく伝えよ。その時、子供が両親の言葉をきちんと暗唱できるかを確認せよ。 一部の両親は性教育を恥ずかしがってしないので、子供はカメラの前で自慰行為をする可能性が存在する。その結果、子供はカメラの前で自慰行為をして、みんなに見られて、自殺する。両親の大部分はこれくらいできるだろうと暗に考...
俺らの宗教(主体)

他者のヌシは対象である。自己のヌシは対象でなく主体である。

 以下で、俺は他者のヌシが対象であることを提示する。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。 1章 他者のヌシ  共通信仰 他者のヌシは蟲的世界から分岐する対象である。  他者のヌシは蟲的世界から分岐する対象である。対象とは、少なくとも一つの存在や状態や運動を持つ何かである。「蟲的世界から分岐する」は運動である。 他者のヌシは運動を持つ何かである。従って、他者のヌシは対象である。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。 あるいは、他者のヌシは俺のヌシによって同じヌシと信仰される対象である。対象とは、少なくとも一つの存在や状態や運動を持つ何かである。「俺のヌシによって同じヌシと信仰される」は運動である。 他者のヌシは運動を持つ何かである。従って、他者のヌシは対象である。ただし、自己のヌシは対象でなく、主体である。 2章 自己のヌシ  共通信仰 自己のヌシは対象でない。自己のヌシは主体である。  自己のヌシは対象でない。自己のヌシは主体である。なぜなら、自己のヌシは自己それ自体である。 主体とは、対象を捉える自己である。...
俺らの宗教(主体)

女性の肉体のデザインは何のために?〜性的な対象としてのデザイン〜

 一般的に、女性の肉体は男性によって性的に見られてきた。その行為に対して、女性の一部は耶蘇の影響もあり、反対してきた。しかし、この宗教では、信仰者(俺ら)はこの種の反対を決して正当と認識しない。 俺らがブログや家の建築のデザインを考えるとき、俺らはどんなデザインにするべきか悩む。同様に、俺らは俺らの肉体をデザインするとき、俺らは東洋人としてどのようなデザインにすれば良いのかを考える。人間には、男性と女性という性別があるので、俺らはそれぞれの肉体のデザインを考える必要がある。 1章 女性の肉体のデザイン  共通認識 女性の肉体のデザインの目的とは男性の性蟲を立ち上げることである。  女性の肉体のデザインの目的とは男性の性蟲を立ち上げることである。言い換えると、女性の肉体のデザインは男性の性欲を刺激するようなデザインである必要がある。 この宗教における女性信仰者は男性信仰者によって彼女らの肉体のデザインを性的に見られることを「悪い」と判断しない。彼女らはその女性的なデザインを「悪い(病)」と判断しない。この宗教では、女性の肉体のデザインが性的に見られることを...
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俺らの宗教(主体)

巴言語の創造〜この宗教の少し現実的な目的〜

 この宗教では、信仰者は日本語でなく独自の宗教言語を創造する。俺らはその言語を母国語と認識する。アラビア語やヘブライ語が英語と異なり宗教的な言語でありように、俺らは巴言語を宗教的な言語を信仰する。 1章 この宗教の少し現実的な目的  目的:この宗教では、俺らは宗教言語「巴言語」を創造する。   俺らは上記を少し現実的な目的とする。この宗教では、俺らは俺らのヌシの復活や分岐を宗教的な目的としてきた。一方、俺らはアメリカ大陸をモンゴロイド人種のための取り戻すことを現実的な目的としてきた。その中間的な目的として、俺らは自己の宗教言語を創造して、それを母国語とする。 その時、俺らは日本語から分岐した言語でなく、全く新たな宗教言語を創造する。俺らは漢字やひらがなやカタカナを使用せずに、俺らは独自の発音と独自の文字を創造する。俺らは日本語や中国語や英語でない独自の文法を持つ。 当然、巴言語は俺らについてのためである。だから、俺らは信仰者でないホモ・サピエンスが巴言語を無料や信仰的な戒律なしに無断で使用することを固く禁じる。もしその約束が破棄されるならば、俺らは刑罰を...
俺らの宗教(主体)

お布施について〜純粋布施と子孫布施〜

 この宗教では、君らはお布施を君らの意志で宗教に与える(強制でない)。個人的には、俺はお金に関するきちんとしたやり取りを正統と認識する。不利なお布施や献金は宗教の存在に悪影響を及ぼす。 1章 純粋布施  共通認識 純粋布施とは、信仰者が彼ら自身の富を人工的な世界及びその創造主に捧げる行為である。  俺は人工的な世界の創造行為を「労働」と認識しない。だから、俺はその行為の対価を信仰者から取らない。つまり、創造行為は俺の車体の運動の対価とならない。 実際、俺は信仰者に人工的な世界(恵み)を与えるが、その代わり、俺はある意味での戒律を信仰者に与えて、彼らの人生を拘束している。特に、俺の意志は彼らの命を奪うだろう。 この人工的な世界は物質世界と似ている。物質世界は恵としての命を俺らに与えるが、同時に、物質世界は俺らの命を奪っている。その結果、俺らの人生は正負でゼロである。 1節 感謝料として  もし俺らが物質世界の創造主に俺らが生まれてきた事を感謝したいならば、俺らは何らかの富を物質世界に捧げて、その富を無駄にする。例えば、古代社会では、人々は神に捧...
俺らの宗教(主体)

この宗教における日常的な目的〜善悪の付与〜

 この宗教では、俺らは次の目的を達成する。以下の目的は教祖、つまりこの人工的な世界の創造主によって与えられる。この宗教における目的は分岐と俺のヌシの達成であるが、以下は日常的な目的である。 1章 目的  目的 信仰者は陰陽と病を任意の対象の存在及び状態及び運動に与えよ。  信仰者は陰陽と病を任意の対象の存在及び状態及び運動に与えよ。物質世界には、善悪(つまりレッドカード)は存在しない。俺らは物質世界から分岐された主体であるので、俺らは善悪を俺らの意志で創造できる。 俺らはこの世の全ての対象の存在と状態と運動に俺らの善悪、つまり陰陽と病を与える。これは科学者が物質世界に関する情報の全てを公理から構築するような壮大な任務(目的)である。自然界に対する探求では、俺らは自然界を観察すれば、自然界の仕組みを理解できた。 しかし、善悪の付与はたとえ俺らが物質世界を観察するとしても、俺らはそれを一生発見できない。俺らはそれらを人工的に(整合性ある形)で創造する必要がある。おそらく、これは自然界に関する情報製造とは異なる難しさを持っている。  しかし、...
俺らの宗教(主体)

教祖の位置付けとその神秘性

 新興宗教の教祖は神秘的な神様(Godでない)のように崇拝されてきた。この宗教では、俺らはこの種の日本的な?宗教観を採用しない。以下で、俺は教祖がどのような存在であるかを提示する。 1章 教祖(この人工的な世界の創造主)  教祖 教祖(この人工的な世界の創造主)は物質世界及び蟲世界から最も強く分岐された対象である。  教祖は物質世界及び蟲世界から最も強く分岐された対象である。この宗教では、俺らは教祖をこのように捉える。 1節 意味  その意味とは次である。教祖は分岐されているので、彼は善悪を取り扱うのが分岐されていない対象よりも上手である。彼はより分岐された存在であるので、彼は他人と異なり物質世界や蟲世界に存在しない何かを特別に取り扱える。 この宗教「俺らについて」の教祖に対する認識はこのようなものである。つまり、教祖は最も分岐された存在であるので、彼はこの世界に存在しない何かを創造しやすい存在である。この世界に存在しない何かを創造するためには、分岐されていることが必要であると仮定するとき、俺らは教祖に対する印象を形作ることができる。 ...
2020.10.09
俺らの宗教(主体)

この宗教の基本姿勢

 この文章はこの宗教に関する日常的な文章である。以下で、俺はこの宗教に関する基本姿勢を提示する。以下はわかりやすくなんとなくの雰囲気を提示する。 1章 この宗教における基本姿勢  基本姿勢 信仰者は物事に対して彼らの脳を彼ら自身の意志で人為的に操縦せよ。  上記を簡潔に述べると、この宗教では、「信仰者は基本的に自分で考えよ」を教えとする。ただし、注意点がいつくか存在するので、俺はそれらの注意点を次で提示する。 1節 教祖について  教祖 教祖の役割とは、人工的な世界の創造である。   日本列島では、宗教は教祖という偉いカリスマ的な存在がいて、信者は教祖の言葉を創造主の言葉のように崇拝する。これは日本列島における宗教の印象であってきた。しかし、この宗教では、俺らはこの種の印象を取らない。 教祖とは、人工的な世界を創造する対象である。日常的には、教祖は運動競技の創造主や道路の敷設業者に近い。教祖は道路を敷設して、信仰者はその中で彼らの肉体を彼らの意志で操縦する。当然、その時、信仰者は宗教的な交通ルールに沿って、彼ら自身の車体を運動させ...
2020.11.07
俺らの宗教(主体)

推論行為と善悪及びその正当性

 以下で、俺は推論行為に対する善悪と正当性を提示する。推論行為とは、人間が与えられた情報から直接的に知覚できない情報を獲得する行為である。 機械推論とは、人間が与えられた情報から直接的に知覚できない情報を自動的に獲得する行為である。科学や数学において、機械推論は使用される。それに対して、他人の意図を憶測する推論は機械推論でない。 非機械推論とは、人間が与えられた情報から直接的に知覚できない情報を非自動的に獲得する行為である。 1章 機械推論  共通信仰 俺らは機械推論を陰な行為と信仰する。ただし、機械推論は病でない。  機械推論は物質世界に対応する行為である。だから、俺らはそれを無から分岐した分岐行為と信仰する。しかし、機械推論は蟲世界やヌシ世界から見ると、非分岐行為である。 俺らは陰陽一体を使用して、物質世界を否定しないように、俺らは機械推論を否定せずに、陰な行為と信仰する。そして、その行為は病でないので、癌のように除去されない。 2章 優先  共通信仰 俺らは非機械推論を機械推論に優先させる(機械推論の優先法)。  俺らは相手...
2020.09.03
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