俺らの宗教

俺らの宗教俺系統の宗教
俺系統の宗教

服装と宗教

 以下では、俺は服装と宗教について述べるつもりである。服装は民族と宗教の両方に密接に関係する。一般的に、服は寒い地域に住むホモ・サピエンスが気候に適用するために着たと考えられているように見える。その服は必要服である。 服装 この果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクの葉で隠すようになる。これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。禁断の果実  以下では、俺は服装について述べるつもりである。俺が服を着るとき、服装に関する必要(需要)が生じる。その時、俺はその需要に関する主導権を異教徒を含む他者に奪われる可能性がある。動物は自己の服を着ないので、その種の心配をしない。 服装  俺系統の認識 x系統の服装はx系統の人間性の表現である。  ホモ・サピエンスは服を着ていない。x系統の人間はx系統の服を着ている。x系統の服は人間をホモ・サピエンスから区別する。俺はなぜ人間のみが自己の服を着るのかを知ることができ...
俺系統の宗教

肉体の和合(デザイン)と宗教

 以下では、俺は肉体の和合(デザイン)と宗教について述べる。俺は自己の肉体のデザインを車体のデザインと例える。このデザインは建築のデザインや文字のデザインと同じデザインである。大和民族は他人をイケメンや美女と呼ぶが、重要なことは肉体のデザインである。 和合(デザイン)  以下では、俺はデザインそれ自体を提示するつもりである。 ・認識  俺系統の認識 和合とは、対象の色と形と配置の組みである。  配置には、比もある。配置は位置及び比である。俺は和と組みの違いをうまく把握することができなかった。俺は色と形と配置と足し合わせることができないので、俺は組みという単語を使用した。より正確には、対象の長さや広がりも関係するかもしれない。距離は2つの対象の距離である。長さは1つの対象の伸び具合(一次元的な広がり)である。 重さはデザインでない。筋肉はデザインでない。肌のキメ細やかさはデザインでない。匂いはデザインでない。体毛は微妙である。 ・分類  俺は和合を目的和合と人間性和合に分類する。x系統の目的和合とは、x系統の人間がx系統の目的で創造した和...
俺系統の宗教

食と宗教

 以下では、俺は食と宗教について述べるつもりである。イスラム教では、豚肉や酒は禁じられてきた。このように、宗教は食にも密接に関係する。歴史的には、仏教は肉食を禁じた。現在の西洋文明では、菜食主義が流行している。 さらに、食は生活形態にも関係してきた。氷河期の終わりの後、ホモ・サピエンスは牧畜や農耕を実行して、彼らの生活形態を狩猟から牧畜や農耕へと劇的に変化させた。未開の民は食それ自体を認識していないので、彼らは炭水化物ばかりを摂取して、彼らは身長が伸びないと嘆いている。 物質は食を取らない。動物以上が食をとる。食料は戦争にも関係する。 食の分類  以下では、俺は食を分類する。俺は職を必要食と趣向食と目的食と人間性食に分類する。 ・必要食  ホモ・サピエンスは食を生きるために摂取する。ホモ・サピエンスが食を実行するのは必要であるからである。必要食とは、動物が生存に必要とする食である。 必要食には、炭水化物や必須栄養素がある。 ・目的食  カルシウムはホモ・サピエンスの身長を伸ばす。タンパク質は筋肉を形成する。もしあるホモ・サピエンス...
俺系統の宗教

人種と運転手の種類

 以下では、俺は人種と運転手の種類について述べるつもりである。もし俺の運転手が自然界や俺の人種に依存するならば、俺の運転手はモンゴロイド人種である。この時、俺の運転手は雄である。また、俺は運転手の年齢を定義することができるので、20代における運転手は30代における運転手に一致しない。この思考の規範は正しいのだろうか? 人種と運転手の種類  以下では、俺は人種と運転手について述べるつもりである。確実なのは、運転手の存在は肉体の存在に存在的に対応している。けれども、運転手の種類は肉体の種類に対応していない可能性がある。つまり、運転手は存在を持つが、存在しているという存在状態以外の状態を持たない可能性がある。 思考の規範  俺系統の認識 もし運転手が肉体の人種や性別に対応するならば、運転手の種類が存在する。  ある主体の人種がモンゴロイド人種であった。その時、その主体の運転手の種類はモンゴロイド運転手種である。同様に、ある主体の性別が雄であった。その時、その主体の運転手の性別は運転手雌である。運転手は肉体の遺伝子に対応している。個人的な印象では、ホモ・サピエン...
俺系統の宗教

ヌシについて

 以下では、俺はヌシについて提示する。この宗教では、俺は自己のヌシを自己と信仰する。感覚的には、俺はヌシを車体における運転手と例えたい。 ヌシについて ヌシ  俺の信仰 自己のヌシとは、自己の蟲から分岐した自己である。  他者のヌシとは、他者の蟲から分岐した非自己である。日常的には、ヌシとは、蟲から分岐した主体である。俺はヌシそれ自体を知覚することができないが、ヌシを把握する。一方、俺は創造主それ自体を把握することができない。 例えると、次になる。俺が俺の肉体を車体と仮定するとき、俺のヌシは運転手である。俺の蟲(視界)は車体の中のカーナビ画面や車体の中のホログラムである。俺のヌシは俺の車体やカーナビ画面を俺の意志で操縦している。運転手は車の外を直接的に知覚しないで、カーナビの画面やホログラムという蟲を通して、間接的に知覚する。当然、この知覚とは、運転手(ヌシ)がカーナビの画面やホログラムという蟲を見る行為である。 俺らは他人の運転手(ヌシ)を信仰によって把握する。なぜなら、運転手自体はエネルギを持たず、知覚不可能である。自己のヌシと他人のヌシの関係...
2021.12.12
俺系統の善悪

教祖について

 以下では、俺は教祖(=俺のこと)について提示するつもりである。ここでの教祖は固有名詞である。下記は伝達される認識である。 教祖について 教祖について  俺の認識 教祖とは、この宗教システム「俺らについて」を創造した主体である。  俺はこの宗教を創造した。だから、俺はこの宗教の教祖である。この宗教では、俺は宗教をある種のシステムと認識する。俺はこのシステム「俺らについて」を創造した。言い換えると、教祖とは、宗教システムの創造主である。 多くの宗教では、教祖は神秘的な存在として祭り上げられている。けれども、この宗教では、俺は教祖をシステムの創造主と認識する。この宗教では、俺は自然界の創造主を自然界というシステムを創造主した主体であると信仰する。この宗教における教祖に対する認識はこの創造主に対する認識に近い。 明確な違いは、自然界の創造主は物質を無から分岐させたかもしれないが、教祖は何かを分岐させていない。教祖は既存の対象をまとめ上げて、この宗教システムを創造した。 宗教的な意味  俺の信仰 俺は教祖(俺自身)を物質世界及び蟲世界から強く分...
2021.11.30
俺系統の宗教

射影幾何と形

 以下では、俺はこの宗教における射影幾何と形について "宗教的に" 述べる。射影幾何は歴史的には建築や絵画とともに発展してきたかもしれない。しかし、この宗教では、俺はホモ・サピエンスを破壊するために、刑罰のために使用する。 射影幾何と形 射影幾何と形  俺の認識 もしホモ・サピエンスの形が見られる方向によって不変でないないならば、たとえ俺が爆弾をその対象に真上から落とすならば、その行為は殺ホモ・サピエンス行為でない。  なぜなら、俺がホモ・サピエンスと呼ばれる対象を真上から見るとき、その対象の形は円または卵形である。円または卵形はホモ・サピエンスの形に一致しない。だから、たとえ俺がその卵形の対象を破壊するとしても、その行為は殺ホモ・サピエンス行為でない。 口語的には、もし俺が嫌いな対象を破壊したいならば、上空から爆弾を落として、その対象を破壊する。俺が上記の思考の規範を嫌うとき、俺は見られる方向に依存しないホモ・サピエンスの形を提示する必要がある。つまり、俺はホモ・サピエンスの形に関する不変的な何かを提示する。 もし人間の本質がホモ・サピエンスの形...
2021.11.30
俺系統の宗教

ヌシに関する信仰原理(公理)

 以下では、俺はヌシに関する信仰原理を提示するつもりである。なお、俺は原理と公理に関する正確な認識を提示することができない。しかし、俺はこの原理からこの信仰を組み立てる。 ヌシに関する信仰原理(公理) 把握原理  俺の信仰 俺は自己のヌシを把握する。  現時点では、俺は信仰すると把握するの違いをうまく認識していない。創造主は信仰されるが、それは把握されない。一方、俺はヌシを把握する。口語的には、俺はヌシを感じ取っている。俺はこの原理を "把握原理" と便宜的に呼ぶ。 自己原理  俺の信仰 俺は(自己の)ヌシを自己それ自体を信仰する。  俺は自己のヌシを自己と信仰する。これは上記の把握でなく、この宗教における信仰や信仰に関する約束に近い。なぜなら、ヌシが俺らの本当の自己であるのかは物質世界には存在しない(ように見える)。 上記では、俺は自己のヌシを把握した。けれども、その把握行為それ自体は自己のヌシを自己であると授けない。口語的には、自己のヌシを自己と取り決めるのは信仰の産物である。俺は物質や蟲やヌシを広い意味で把握する(感じ取る)。けれ...
2021.12.12
俺系統の宗教

ロゴス(思考の規範)

 ロゴスは論理と翻訳されてきた。この宗教では、俺らはロゴスを「思考の規範」と認識する。この思考の規範は性規範と同じである。 ロゴス(思考の規範) 思考の規範  俺の認識 俺らはロゴスを思考の規範と認識する。  異なる人種や宗教や文明は互いに異なる異なる性規範をそれぞれの民族に授ける。同様に、異なる人種や宗教や文明は互いに異なるロゴス(思考の規範)をそれぞれの民族に授ける。つまり、民族xの思考の規範xは民族yの思考の規範yと異なる。 性規範xがx系統の人間社会を形成するために存在するように、思考の規範xはx系統の人間社会を形成するために存在する。つまり、思考の規範は自然界を分析したり、論理的であるために存在するのでなく、自己の人間社会を形成するために存在する。つまり、思考の規範は会話と同様に社会形成の一種である。 例えば、古代ギリシアにおけるロゴスは論理と翻訳されてきた。俺らはこのロゴスを「推論に関する思考の規範」と翻訳する。要するに、俺らが何かを推論する時、俺らは推論に関する思考の規範を必要とする。俺らがその規範に沿って思考する時、俺らは物質世界の...
2021.11.30